日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
タキン・コウドー・フマイン
たきんこうどーふまいん
Thakin Kodaw Hmaing
(1876―1964)
ビルマ(現ミャンマー)が生んだ著名な作家でかつ民族主義運動家。下ビルマ、ペグー(現バゴー)近郊の生まれ。本名ウー・ルンU Lun。コンバウン王朝崩壊の時期から上ビルマ各地を修行僧として巡遊、のち当時首都であったラングーン(現ヤンゴン)に上り、ジャーナリストとして活躍。かたわら、サヤ・ルン、ミスター・マウン・フマインなどのペンネームで文筆活動に入る。また1920年のラングーン大学(現ヤンゴン大学)第一次スト後「国民教育評議会」を結成し、国民文学教育にも力を注ぐ。1934年ド・バマー・アスイーアヨウン(タキン党)の政策と党員の士気に共鳴して入党し、以来タキン・コウドー・フマインの名で民族独立運動に指導的役割を果たす。独立後、民族文学活動および世界平和に貢献した功績を認められ、1955年ソ連より国際スターリン平和賞と10万チャットの賞金を受ける。また1960年には旧東ベルリンのフンボルト大学から名誉博士号を贈られる。1976年には生誕百年祭が行われるなど、国民的英雄として敬愛されている。著書に、小説『フマードーボン』Hmadawbonのほか『ダウン・ティカ』Daung Tikaなど、随筆、評論が多数ある。
[奥平龍二]