ペグー(その他表記)Pegu

関連語 大野

精選版 日本国語大辞典 「ペグー」の意味・読み・例文・類語

ペグー

  1. ( Pegu ) ミャンマー南部都市ヤンゴンの北東方にあり、鉄道分岐点。米や落花生などの農産物の取引、加工が盛ん。一四世紀から一六世紀までは、この地方を支配したモン族王朝ペグー朝首都として栄えた。巨大な寝釈迦像と高さ一一三メートルのシュエマウダウ‐パゴダがある。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ペグー」の意味・わかりやすい解説

ペグー
Pegu

ミャンマー中南部,ペグー管区の主都。人口15万(1983)。ヤンゴン北東80km,ペグー川に面し,マンダレーおよびモールメインへ行く鉄道の分岐点にあたる。モン族の伝説では,竜の流れをくむ女性とタトン国の創始者ティッサ王との間に生まれたタマラ,ウィマラの双子の兄弟が町を築いたとされる。1369年にペグー朝のビンニャウー王によって王城が築かれた。ペグーの最盛期は,タウングー朝のバインナウン王がここを都とした16世紀で,王城はアラウンパヤー王がモン族を征服した1757年に焼き払われた。城壁や濠の痕跡は,現在でも市街地の外れに残っている。市の東側にあるトゥダッタナ丘の上には釈迦の遺髪をまつるというシュウェモードー・パゴダ,ペグー川西岸1.5kmの地には巨大な横臥仏像(寝釈迦)シュウェターリャウン(身長約55m),その南東にはカルヤーニ戒壇の跡などがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ペグー」の解説

ペグー
Pegu

ミャンマー南部にあって,モン文化圏の中心都市として機能した。9世紀頃に城市が建設され,1369年にペグー王朝の都となる。ついで1538年から98年まではタウングー朝の都となり,再び1740年から57年まではモンの政権が奪回する。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ペグー」の解説

ペグー
Pegu

ビルマ,ラングーン北東方にある都市
イラワディ川デルタ地帯に9世紀にモン族によって建設されたといわれ,ペグー朝およびその後のトゥングー朝の首都とされた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペグー」の意味・わかりやすい解説

ペグー

「バゴー」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む