改訂新版 世界大百科事典 「タキン党」の意味・わかりやすい解説
タキン党 (タキンとう)
ビルマ(現ミャンマー)の政治結社ド・バマー・アシーアヨンDo Bama Asiayone(われらビルマ人連盟)の別称。1930年5月26日にラングーンで発生したインド人とビルマ人の港湾労働者同士の衝突事件に触発された,ビルマ人としての民族感情が結社設立の直接の要因とされる。当初はタキン・バタウン,タキン・テインマウンら数人の青年による小結社であったが,タキン・ソー,タキン・タントゥンなどの共産主義者やタキン・ヌ,タキン・アウンサンなどラングーン大学の学生運動の指導者の参加を得て体質を強化,反英独立を旗印に掲げる民族主義団体に成長した。イギリスのビルマ支配に対してビルマ人こそこの国の真の主人だとの意味から,党員すべてが自分の名前に主人を意味するビルマ語タキンthakinを冠して呼びあったことから,タキン党ともよばれる。36年の選挙ではコーミンコーチン(独立独歩)党と連携して党員4人を下院に送り込んだ。39年にはバモーの率いるシンイェーダー(貧民)党と合体して自由ブロックと称し,ビルマの独立権の承認,制憲議会召集の準備,総督権限の内閣への委譲などを要求した。40年ビルマ防衛法の発動で幹部党員多数が逮捕され,組織は壊滅状態となったが,同年6月日本に脱出したアウンサン,フラミヤインらとミャ,チッら人民革命党系タキンとの協力で,青年タキン30名の日本送り込みに成功し,ビルマ独立軍の母体づくりの役割を果たした。
執筆者:大野 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報