フンボルト大学(読み)フンボルトダイガク(その他表記)Humboldt Universität zu Berlin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フンボルト大学」の意味・わかりやすい解説

フンボルト大学
フンボルトだいがく
Humboldt Universität zu Berlin

ドイツベルリンにある大学。 1809年フリードリヒ・ウィルヘルム3世のときフンボルトによって創設されたベルリン大学が母体となっている。初代学長のフィヒテのほか,シュライエルマッハーヘーゲルなどのすぐれた学者たちによって著しい発展を示し,ドイツ最大の大学となったばかりでなく,世界の大学の模範ともされていた。第2次世界大戦後東ドイツの管轄下におかれ,現在の名称に改称された。法学農学園芸数学・自然科学,医学哲学神学,経済などの学部がある。教員数約 1600名,学生数約2万 2800名 (1997) 。なお,大戦後西ベルリンには旧ベルリン大学の教授,学生を中心にベルリン自由大学が設立され,ドイツ統一後も両大学が併立している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フンボルト大学」の意味・わかりやすい解説

フンボルト大学
ふんぼるとだいがく
Humboldt Universität zu Berlin

ドイツの首都ベルリンにある大学。

[編集部]

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世界大百科事典(旧版)内のフンボルト大学の言及

【ベルリン大学】より

…プロイセン国王フリードリヒ・ウィルヘルム3世の治下,フィヒテ,シェリング,K.W.vonフンボルト,シュテフェンスらの提言に基づき,1810年にベルリンに創設された大学。正称はフリードリヒ・ウィルヘルム大学Friedrich‐Wilhelms‐Universitätだったが,第2次大戦後東ドイツの管轄下におかれ,フンボルト大学Humboldt‐Universitätと改称された。初代学長はフィヒテであった。…

※「フンボルト大学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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