日本大百科全書(ニッポニカ) 「タリアン夫人」の意味・わかりやすい解説
タリアン夫人
たりあんふじん
Thérésia Cabarus Mme Tallien
(1775―1835)
フランス革命期の名流婦人。スペインの銀行家で、大蔵大臣となる父のもとでマドリードに誕生。12歳でパリに移る。音楽と絵に秀で、15歳で王室財務卿(きょう)の長男フォントネ侯爵と結婚。革命が起こるや、共和主義をサロンで唱えた。1793年に身の危険を感じた夫に連れ添い、ボルドーに移る。まもなく離婚したが、ボルドーにおいて山岳派議員で公安委員会委員のタリアンJean Lambert Tallien(1767―1820)と知り合い、彼の権限を利用して不行跡にふける。ロベスピエールににらまれ逮捕されたが、彼の没落により救われ、94年9月にタリアンと結婚。テルミドール(熱月)の反動にのってパリ社交界に君臨。自宅の「茅屋(ぼうおく)の夜会」に当代の名士を集め、「美と流行の聖母」とたたえられた。レカミエ夫人やジョゼフィーヌらをも加え、時代の「メルビエイユーズ(粋(いき)ちょん)」女性を吸引したが、男狂いがやまず、タリアンと離別後裁判沙汰(ざた)を起こし、社交婦人としての生命と役割を終えた。
[金澤 誠]