日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボルドー」の意味・わかりやすい解説
ボルドー
ぼるどー
Bordeaux
フランス南西部、ジロンド県の県都。大西洋に注ぐガロンヌ川に沿い、河口から98キロメートル上流に位置する。人口21万5363(1999)、24万9712(2015センサス)。国内北部、スペイン、地中海方面を結節する道路、鉄道交通の要衝で、地中海とはミディ運河によっても結ばれる。河港を有する港湾都市で、貨物取扱量は多いが、マルセイユ、ル・アーブルなどには及ばない。輸出の中心は周辺で生産されるボルドーワインで、輸入は石油、鉄鉱石、石炭、燐(りん)鉱石などの原材料が多い。産業は瓶、樽(たる)、コルク、木枠の製造などワイン関連産業と、輸入原材料を加工する製鉄、化学などの工業が発達し、石油製品は輸出している。ほかに製糖などの食品工業や造船業も行われる。市内の主要建造物は、大司教座教会でゴシック様式の彫刻群を誇るサンタンドレ大聖堂(13~14世紀)、15世紀の鐘楼ペー・ベルラン、18世紀の劇場グラン・テアトル、110メートルの鐘塔をもつ15世紀のサン・ミシェル教会、12世紀のサント・クロア教会などである。思想家モンテスキュー、モラリストのモンテーニュの出身地で、2人の像が市内の大広場にあり、1441年創建のボルドー大学構内に後者の墓がある。
[青木伸好]
歴史
ローマ時代すでにケルト人商人の港市であったが、8世紀より12世紀にかけてアキテーヌ王国、ガスコーニュ公国、アキテーヌ公国の首都となり、1152年よりアキテーヌ公女(アリエノール・ダキテーヌ)が、イギリス王となるアンジュー伯アンリ(ヘンリー2世)と再婚したためイギリスの支配下に入り、1453年百年戦争の終結とともにフランスに吸収された。周辺地域はローマ時代からワインの大生産地であり、13世紀にはイギリス、スペインへのワインの大輸出港として繁栄し、ボルドー商人たちはイギリス王からロンドン市民の身分を与えられたほどであった。またその財力をもってボルドー大司教を教皇位につけた(クレメンス5世)こともある。百年戦争下に一時イギリスのエドワード(黒太子)の宮廷が置かれ、サンタンドレ大聖堂などの建築が行われた。18世紀に入り、植民地経営が開始されると造船業が発展し、ワイン、砂糖などを主商品とするアンティル諸島、セネガル・ギニアとの三角貿易によって大いに繁栄をみた。フランス革命当時はジロンド派の根拠地となり、1793年6月の反国民公会暴動では酸鼻な大弾圧を受けている。ついで大陸封鎖により、港が破壊され、人口半減の苦境にもたたされた。プロイセン・フランス戦争後の1871年ここに国民議会が開かれ、第一次、第二次の両世界大戦に際しては一時政府がこの地に移されたこともある。
[石原 司]