日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダンゲ」の意味・わかりやすい解説 ダンゲだんげShrīpad Amrut Dānge(1899―1994) インドの政治家。ナーシク生まれ。ボンベイ大学(現ムンバイ大学)在学中、反英運動に参加。1922年マルクス主義週刊紙『ザ・ソーシャリスト』を発刊。1924年から4年間入獄。のちボンベイ労働運動の指導者となる。インド共産党の創立にも参加。1929~1935年入獄。全インド労働組合会議議長を経て、インド独立後共産党下院議員。1962年同党議長。1964年以後、右派=ソ連派共産党議長。1980年同党からも離脱して少数派グループを結成した。[内藤雅雄][参照項目] | インド共産党 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダンゲ」の意味・わかりやすい解説 ダンゲDange, Shripad Amrit [生]1899.10.10. ボンベイ[没]1991.インドの政治家。 1920年マハトマ・ガンジーの不服従運動に加わった。 1925年インド共産党の創立に参加。インド独立前に十数年獄中生活を送り,独立後も数回入獄。 1957~61年,1967~70年連邦下院議員。党内では右派,親ソ派の中心で,1962年共産党委員長になり,1964年党の分裂で右派共産党 CPIの委員長。 1969年以来一貫してインディラ・ガンジーの政策を支持した。 1977年の総選挙後,党内で批判が強まり,年末には委員長の辞任を申し出たが,留任。『インドの原始共産主義から奴隷制へ』など著書多数。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by