インドネシア,西部ジャワと中部ジャワとの州境にある港市。現在の名称はチルボン。スンダ人,ジャワ人,中国人,オランダ人の諸文化が混在し,町名もジャワ語のチャルバン(混合物の意)にちなむといわれる。イスラム伝来以前は目立たぬ港であったが,1552年ごろ以後にここに移住して来たイスラム教徒のスーナン・グヌン・ジャティ(別名ファラテハン)が勢力を得た。彼は北スマトラのパサイ出身でメッカ巡礼をすませた後,ジャワ北岸デマック国王トレンガナの妹と結婚していた。そしてバンテン王国やジャカルタを征服したが,そのころからデマックの支配を脱して独立していた。彼は70年ごろチェリボンで死去し,ジャワにおける9番目のワリ(聖者)として崇拝されている。町は1632年以後,マタラム・イスラム王国の属国となり,80年にはオランダ軍に占領され,翌年オランダの保護領となった。商業用作物の義務供出制が早くから施行され,18世紀中に10回も飢饉に見舞われた。
→チルボン
執筆者:永積 昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
インドネシア、ジャワ島北西岸にある都市チレボンの旧称。
[編集部]
…人口24万5000(1990)。オランダ領時代の旧名はチェリボン。ジャカルタの東約200km,チラメ火山(3078m)の北東麓に位置し,港口が東に向くため西のモンスーンの卓越時にも安全な港である。…
※「チェリボン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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