改訂新版 世界大百科事典 「バンテン王国」の意味・わかりやすい解説
バンテン王国 (バンテンおうこく)
インドネシア,ジャワ島西端のバンテンBanten港を中心として1527年ごろから1813年まで存続した王国。ヨーロッパ文献にはバンタムBantamと記される。北スマトラのパサイ出身のいわゆる〈9聖人〉の一人スーナン・グヌン・ジャティ(ファラテハン)は1524年にジャワ北岸のデマックにイスラムを伝え,さらに布教と貿易の根拠地を求めてバンテンに移動した。バンテンはしばらくのあいだデマックの属国としてグヌン・ジャティの支配を受けたが,1552年ごろ以後,彼は本拠を約300km東方のチェリボン港に移し,彼の子ハサヌッディン(在位1552-70)がバンテンの王統を継いで別の王国となった。彼は勢力を南スマトラのランポン地方にまで及ぼし,バンテン港はコショウ積出港として繁栄した。その子マウラナ・ユスプ(在位1570-80)は1579年ごろパジャジャラン王国を滅亡させた。彼は都をバンテン川の河口近くに移し,東隣のスンダ・カラパ(現,ジャカルタ)をも服属させた。96年にオランダ船が初めてバンテンを訪れコショウを買い入れたが,ジャカルタを多く利用するようになり,1619年にこの地を征服してバタビアと改称した。バンテン王国はオランダに敵しがたいのを知り,これと妥協しつつ勢力回復を図ったが,英主アブドゥルファター(在位1651-82)の貿易振興策が内紛により挫折してからはことごとにオランダの干渉を受け,1808年には総督ダーンデルスに対する反乱に敗れて直轄領に編入された。そして11年にイギリス領となり,13年には名目的に残っていたスルタンも廃された。
執筆者:永積 昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報