デジタル大辞泉
「チルボン」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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チルボン
Cirebon
インドネシア,ジャワ島北西岸の港市。人口27万3311(2003)。オランダ領時代の旧名はチェリボン。ジャカルタの東約200km,チラメ火山(3078m)の北東麓に位置し,港口が東に向くため西のモンスーンの卓越時にも安全な港である。古い歴史をもち,かつては有力なスルタン王国の所在地であった。スンダ族,ジャワ族,中国人が混住して発展し,ことに中国文化の影響が大きい。現在は地方的商港の一つとして砂糖,コーヒーなどの集散が盛んである。特有のデザインと色彩をもつバティック工業もこの市の名物である。古い王宮(クセプハン)と付属の博物館,グヌン・ジャティの丘にある王国の建設者ファラテハンの廟,また南西30kmにある休養地リンガジャティなどは観光地となっている。
執筆者:別技 篤彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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チルボン
Cirebon
インドネシア,ジャワ島西部,ジャワ海にのぞむ港湾都市。ジャワバラット州に属する。 16世紀にチルボン王国の首都として,ジャワ島西部の一中心となった。 18世紀初期にはオランダの保護領とされ,たびたびの暴動も鎮圧された。付近にはチルボン王朝の遺跡,墓などがあり,イスラム教徒の巡礼地となっている。砂糖,コプラ,米,コーヒーなどを輸出する。化学,紡績,機械,たばこなどの工業がある。漁業も盛んで,特にエビは有名。北岸沿いの鉄道と,内陸のバンドン,タシクマラヤからの道路が接続する。ジャワ文化の中心からは離れているが,仮面舞踊など独特の文化がはぐくまれた。人口 22万 3776 (1980) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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チルボン
インドネシア,ジャワ島北西海岸の港湾都市。旧称チェリボンCheribon。チェルメ火山(3078m)の北東麓に近く,海陸交通の要地で,地方的商業も盛ん。バティック(ジャワ更紗)の生産地としても知られる。またかつてのイスラム王国の都で王宮があり,ジャワにおけるイスラム巡礼地の一つ。華人の居住者も多い。31万2771人(2005)。
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世界大百科事典(旧版)内のチルボンの言及
【チェリボン】より
…インドネシア,西部ジャワと中部ジャワとの州境にある港市。現在の名称はチルボン。スンダ人,ジャワ人,中国人,オランダ人の諸文化が混在し,町名もジャワ語のチャルバン(混合物の意)にちなむといわれる。…
※「チルボン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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