チムール朝(読み)チムールちょう(その他表記)Timurid; Tīmūr Dynasty

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チムール朝」の意味・わかりやすい解説

チムール朝
チムールちょう
Timurid; Tīmūr Dynasty

中央アジアの封建国家 (1370~1507) 。チムール (帖木児)は,西はカフカスから東はインド北西部にいたる大帝国を建設した。その死後,孫のハリール・シャー (在位 1405~07) が帝位についたが,まもなく廃され,ヘラートにあったチムールの第4子シャー・ルフ (在位 09~47) がサマルカンドを占領し,帝国の支配者となった。しかし,彼はヘラートにとどまり,サマルカンドはその子ウルグ・ベグ (兀魯伯)に支配させた。シャー・ルフの治世は 38年に及び,父の遺業をよく保つことができた。その後,国力は衰え,第7代のアブー・サイード (在位 51~69) の時代に一時国力を回復したが,長続きせず,北方からのウズベク族の攻撃によって衰えていった。チムール朝後期には,第8代の王位についたアフマド (在位 67~93) の支配したサマルカンドや,フサイン・バイカラの支配したヘラートに爛熟期を迎えたチムール文化が開花し,現在多数の遺跡を残している。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

関連語 フサイン

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む