精選版 日本国語大辞典 「サマルカンド」の意味・読み・例文・類語
サマルカンド
- ( Samarkand ) ウズベキスタン共和国東部の都市。中央アジア最古の都市の一つで、古くからシルクロードの東西交易基地の一つとして栄えた。古代にはマラカンダと呼ばれ、一四、五世紀にはチムール帝国の首都となった。絹、毛織物、皮革などの工業が盛ん。イスラム建築の遺跡が多い。
翻訳|Samarkand
中央アジアのウズベキスタン共和国の都市。人口36万1339(2001)。ザラフシャン川流域に位置する。Samarqandとも綴られる。前4世紀のギリシア人にはマラカンダMarakanda,後5世紀以降の中国人には康国,薩末鞬,尋思干,撒馬児罕などの名で知られる。前10世紀ころから中央アジア有数のオアシス都市として発展したが,前6世紀にはアケメネス朝ペルシアの支配下に入り,前4世紀には足かけ3年間にわたる果敢な抵抗の末にアレクサンドロス大王の軍門に下った。以後も,5世紀にはエフタル,6世紀には西突厥の支配下に置かれるなど軍事的には必ずしも強力ではなかったが,その住民で東方イラン語に属するソグド語を使用したソグド人は,シルクロード沿いに中国,モンゴリアなどにまで進出して国際的商人として活躍するかたわら,宗教,文字などの西方の文化の東方への伝播者としても大きな役割を演じた。
8世紀初頭アラブの支配下に入り,9~10世紀のサーマーン朝の時代にそのイスラム化が完成,11~13世紀のカラ・ハーン朝,セルジューク朝,カラ・キタイ,ホラズム・シャー朝の支配時代にトルコ化が進展し,以後徐々にトルコ族のイスラム教徒の居住する都市となった。1220年モンゴルの侵入によって市街,城壁を完全に破壊され廃墟と化した。しかしやがてその南西に新市街が再建され,14~15世紀のティムール朝の時代には帝国の首都として空前の繁栄を示した。現在も市内に残るビービー・ハーヌム・モスク,グール・アミール廟などの建築物はいずれもティムール朝時代の栄華を伝える貴重な文化遺産である。16世紀以降ウズベク人のブハラ・ハーン国の支配下に入り,ときにはその首都となったが,1868年にロシア人に征服され,ロシア帝国の領内に編入された。1917年11月のロシア革命以後はトルキスタン自治社会主義共和国に組み入れられ,24年ウズベク社会主義共和国が誕生すると30年までその首都の地位を占め,以後はタシケントに次ぐ共和国第2の都市として今日にいたっている。
1896年にはカスピ海東岸のクラスノボーツク(現,トルクメンバシ)と鉄道で結ばれ,99年にはタシケントへの鉄道も開通,古くからのキャラバン・ルートの中心地としての面目を一新した。19世紀末以来,綿業,皮革業,食品加工業が発達し,第1次五ヵ年計画(1928-32)の時代に,絹織物工場,果物缶詰工場などが建設されたのを皮切りに近代的産業の中心地へと脱皮しつつある。さらにウズベク共和国科学アカデミー考古学研究所,サマルカンド大学(1927設立),寄生虫学研究所,サマルカンド市史博物館,ウズベク共和国文化芸術史博物館などの活動を通じて教育・文化の面でも重要な役割を担いつつある。また近年,モンゴル軍に破壊された旧市街地(アフラシアブと呼ばれる)の考古学的発掘も進み,古代サマルカンドの華麗な文化が明らかにされつつある。
執筆者:間野 英二
サマルカンドの北部に位置するアフラシアブの遺跡からは,バラフシャやペンジケントのそれと並ぶ重要なソグド時代の壁画が発見されているほか,サーマーン朝の宮殿やカラ・ハーン朝の墓廟が発掘されている。また,この地域にはイランのニーシャープールと共に彩画陶器を産出した重要な窯場(9~10世紀)があった。建築では大半がティムール,サファビー両王朝の遺構で,規模雄大ながら損傷著しいビービー・ハーヌム・モスク(1399-1404),フルーティング(装飾溝)のある壮大な二重ドームと美しい内装で知られるティムールの墓廟グール・アミール(15世紀初期。学院と修道場を兼ねる),モスク・マドラサ・タイプでタイルによる華やかな内装をもつ墓廟イシュラト・ハーナ(喜悦の館。1464),ティムール一族の墓廟群を中心とするシャーヒ・ジンダ(生ける王者。14~15世紀),市の中央広場レギスタンの三方を囲む壮大なウルグ・ベク(1417-20),シール・ダール(1619-36),ティラー・カーリー(1646-60ころ)の3マドラサ,ウルグ・ベクの天文台跡(1424-29。現在ここからの出土品を展示)などが重要である。さらに,ティムール朝時代の栄華を今に伝えているのは,10万点以上の豊富な資料で知られるウズベキスタン共和国文化・芸術史博物館である。
執筆者:杉村 棟
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ウズベキスタン、サマルカンド州の州都。同国の中東部にあり、パミール高原北麓(ほくろく)から西流するゼラフシャン川の河谷に位置する。人口37万1800(2001推計)、53万8211(2019推計)。交通の要地で、空港があり、鉄道、幹線道路も通じる。絹、毛織物、皮革、農業機械、化学肥料、建築材料、食品などの工業が盛ん。中央アジアでもっとも古い都市の一つで、14~15世紀の建造物が残されている。旧市街と、ロシア革命(1917)後、近代都市に発展した新市街地とからなり、市を二分している。総合大学があり、タシケントと並んでウズベキスタンの経済・文化の中心地である。また史跡と温暖な気候に恵まれ、一年中観光客が絶えない。2001年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
サマルカンド州は面積1万6400平方キロメートル、人口270万4500(2001推計)。平均気温は1月零下0.3~零下0.9℃、7月25~30℃、年降水量は200~400ミリメートルである。したがって大部分が砂漠的な植物相である。産業は農産物の加工が中心で、果樹や肉類の加工業が盛ん。機械製造工場はサマルカンドとカッタクルガンКаттакурган/Kattakurgan(人口6万7800、2001推計)に集中している。じゅうたん、木彫、金細工などの伝統工芸品もつくられている。
[山下脩二]
ソグディアナのオアシス都市として紀元前500年ごろに成立した。古代の主要街区は現サマルカンド市の北東に接するアフラシアブの丘である。ここはアレクサンドロス大王が東征中、占領したマラカンダとして初めて文献に記録された。ソグド人の中心地区、粟特(ソグド)国の一つで、5世紀以降の中国の史書には悉万斤(しつまんきん)、颯秣建(さつまつけん)の名で知られ、別に康(こう)国ともよばれた。6世紀には西突厥(にしとっけつ)に支配され、714年にアラブの将軍クタイバに攻略されてからイスラムの都市となり、サーマーン朝、カラ・ハン朝、セルジューク朝、ホラズムシャー朝の中心都市の一つとなり、イスラムの学芸文化、東西中継商業の最大の中心地として繁栄した。1220年モンゴルのチンギス・ハンの侵入軍に攻略されたが、まもなく復興した。15世紀のティームール帝国の首都となり、グール・イ・ミール、ビービー・ハヌム、シャー・イ・ジンダなどの現存する建築物が建てられた。1500年シャイバーニー朝に占領され、その滅亡後に興ったブハラ・ハン国はブハラ市を首都としたので、サマルカンドの政治的地位はやや低下した。1868年帝政ロシアに占領され、1925年ウズベク共和国の首都となったが、1930年にタシケントが新首都となった。
[佐口 透]
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ウズベキスタン共和国第2の都市。マラカンダ(Marakanda)と呼ばれた前4世紀には交通の要地であった。その後,ソグド人の拠点として中国では康国(こうこく)の名で知られた。8世紀初頭のアラブ支配下でイスラーム化し,カラハン朝以降,住民はトルコ化した。モンゴル帝国期に廃墟となったのち西南部に再建され,ティムール帝国の首都として発展したが,16世紀にウズベク統治下でブハラに繁栄を奪われた。19世紀後半ロシア帝国下に入り,社会主義時代には一時首都となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…この捕虜の中に各種の技術者がおり,のちにイスラムの技術に影響を与えたが,製紙術が伝わったのも捕虜となった中国人紙漉工に負うのである。まずサマルカンドに製紙工場が設けられ,ここがイスラムにおける製紙の一中心となった。11世紀のイスラムの著述家サアーリビーal‐Tha‘ālibīの《知識の冗言》には,サマルカンドの特産物として紙が挙げられている。…
…彼の旅行記として,同行した弟子李志常が記録した《西遊記》があり,13世紀中央アジアに関する中国側史料として第一等の価値をもつ。たとえばサマルカンドについて,モンゴル侵入までの戸数10万余が,戦乱により4分の1に減ったことが記されている。また耶律楚材と韻を合わせた詩も少なくなく,本国における道教対仏教の争いとはかかわりなく,両者の西域での友好を示している。…
…ウズベク共和国のサマルカンドに残る,イスラム世界ではユニークな墓廟群。〈生ける王者〉の意。…
…タジキスタン領内のイグラ峰(5301m)にかかるゼラフシャン氷河に発し,断層線谷を西流してペンジケント付近で大きな扇状地を形成して平野に出る。サマルカンド付近では分流し,さらに合流してブハラの下流カラクリ付近で砂漠中に消える。中・下流はオアシスの水路網が複雑に入り組み,カッタクルガンその他には貯水池がつくられている。…
※「サマルカンド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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