デジタル大辞泉
「ウルグベグ」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ウルグ・ベグ(兀魯伯)
ウルグ・ベグ
Ulugh Beg
[生]1394
[没]1449.10.27. サマルカンド
中央アジアのチムール王家のサマルカンド王 (在位 1447~49) 。チムール (帖木児)の孫。 1409年,父シャー・ルフが帝位についてヘラートを都とし,ウルグ・ベグはサマルカンドに封じられて,アムダリアの北の地の統治にあたった。ウルグ・ベグは教養が高く,学問,芸術を保護し,その治下のサマルカンドは西アジアの文化の中心地になった。サマルカンドに天文台を建設し,その編纂になる『ウルグ・ベグの天文表』なるものが伝わっている。 47年の父の死後マーワラー・アンナフルとホラサンとの統一を目指したが失敗し,49年長子アブドゥル・ラティーフに最終的に敗北,その命によって殺された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ウルグ・ベグ
Ulugh Beg
1394~1449(在位1447~49)
ティムール帝国の第4代君主。ティムールの孫。1409年,父のシャー・ルフがサマルカンドを占領した際に,マー・ワラー・アンナフルの統治を任された。学芸を奨励し,みずからも天文学,数学,歴史などに通じ,学院や天文台を建設した。父の死後王位についたが,49年その子アブドゥル・ラティーフにそむかれて敗れ殺害された。サマルカンドの天文台での観測にもとづき,彼が編纂した『天文表』は,当時世界的に最も精度の高いものとして名高い。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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ウルグ・ベグ
生年月日:1394年3月22日
中央アジアのチムール王家のサマルカンド王(在位1447〜9)
1449年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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