日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャプリツカ」の意味・わかりやすい解説
チャプリツカ
ちゃぷりつか
Maria Antonova Czaplicka
(1884―1921)
ポーランド出身の社会人類学者。ツァプリカともいう。ワルシャワ近郊で生まれたが、早くからイギリスへ渡った。ロンドン大学とオックスフォード大学で研鑽(けんさん)ののち、1912年から両大学の講師を務め、晩年はブリストル大学で教鞭(きょうべん)をとった。1914年から1915年にかけて、ペンシルベニア大学のヘンリー・U・ホールHenry Usher Hall(1876―1944)とともに、シベリアに入り、サモエード、ツングース、チュルク系(トルコ系)諸民族の調査を行った。その記録は『私のシベリア時代』My Siberian Yearsとして1916年に発表されている。彼女は、その語学力を駆使して、シベリアや中央アジアの諸民族についてのロシア語文献を紹介するとともに、独自の調査資料に基づいて優れた業績を残した。主著に『シベリアの先住民』Aboriginal Siberia(1914, Oxford)と『中央アジアのチュルク諸民族、歴史と現在』The Turks of Central Asia in History and at the Present Day(1918, Oxford)があるが、まだ多くの論文が未刊のままであり、その早世が惜しまれる。
[佐々木史郎 2018年12月13日]