改訂新版 世界大百科事典 「チュン姉妹」の意味・わかりやすい解説
チュン姉妹 (チュンしまい)
Hai ba Trung
徴姉妹。紀元1世紀,中国の支配に抗したベトナムの民族英雄。ベトナムのジャンヌ・ダルクともいわれたが,現在はあまりいわれない。チュン・チャク(徴側),チュン・ニー(徴弐)の姉妹はハノイ北西方のメリン(冷)県の土豪(雒将)の娘に生まれた。紀元40年,当時ベトナムを支配していた後漢の交趾郡大守蘇定はチュン・チャクの夫を殺した。チュン姉妹はただちに反乱に立ち上がり,たちまちのうちに広東省から北部ベトナムにかけての65城を落とし,自ら王位についた。しかし,翌41年漢は伏波将軍馬援に討伐を命じ,馬援は嶺南山脈を越えてランバク(浪泊。バクニン近辺)でチュン姉妹の軍を破り,次いでカムケー(禁渓)に退いた姉妹を攻撃,43年に捕らえて処刑した。一説にハットザン(喝江)で自殺したともいわれる。ベトナムは再び中国の支配下に戻ったが,チュン姉妹の名は以後長く民衆の間に伝承され,チャン(陳)朝期に徴聖王として福神にまつられ,さらに独立後は最初の対中抵抗に勝利した民族英雄として高く評価されている。
執筆者:桜井 由躬雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報