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徴側 ちょうそくZheng Ce; Tru`ng Trǎc

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徴側
ちょうそく
Zheng Ce; Tru`ng Trǎc

[生]?
[没]43
後漢の初め,中国支配下にあった交趾 (現在のベトナム北部にあたるトンキン) 地方で反乱を起した指導者。ベトナム音でチュン・チャク。らく将 (ベトナム土侯) の娘で,結婚後,当時の交趾刺史蘇定の圧政に抗して,40年妹の徴弐とともに反乱を起した。一時勢いが盛んとなり王を称したが,後漢の伏波将軍馬援に破られ,43年斬首された。ベトナムでは現在も独立闘争の英雄として,ハイ・バー・チュン (2人の徴夫人の意) の名で崇拝されている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうそく【徴側 Zhēng Cè】

?‐43
中国,後漢の初め,交趾郡(ベトナム北部)で起こった反乱の指導者。泠(びれい)県(ハノイ北西)の雒将(らくしよう)(在地首長)の娘。朱鳶(しゆえん)(ハノイ南方)に嫁いだが,交趾郡太守の蘇定の圧政に憤り,40年(建武16)妹の徴弐(ちようじ)とともに反乱に立ち上がった。初め九真,日南,合浦の諸郡も呼応し,彼女は65城を占領して徴王と称したが,光武帝の派遣した伏波将軍馬援のひきいる1万余の兵に破られ,徴姉妹は捕らえられて斬首に処せられた。

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世界大百科事典内の徴側の言及

【チュン姉妹】より

…ベトナムのジャンヌ・ダルクともいわれたが,現在はあまりいわれない。チュン・チャク(徴側),チュン・ニー(徴弐)の姉妹はハノイ北西方のメリン(冷)県の土豪(雒将)の娘に生まれた。紀元40年,当時ベトナムを支配していた後漢の交趾郡大守蘇定はチュン・チャクの夫を殺した。…

※「徴側」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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