ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツェリン」の意味・わかりやすい解説
ツェリン
Tsering
[没]1750. タミル
外モンゴルのハルハ (哈爾哈) 部,サイン・ノヤン部の初代部長。姓はボルジギト (博爾済古特) 。当初はトゥシエト・ハン部に所属していたが,ジュンガルのガルダン (噶爾丹)の侵入を経て,1692年清朝に帰属した。 1705年康煕帝の娘と結婚してふ馬となった。 15年ツェワン・アラプタン (策妄阿拉布坦)のハルハ侵入と 20年のオイラートとの戦いで功をあげ,ジャサクに任じられた。 25年には従来からのハルハの3ハン部に加えて新しくサイン・ノヤン部の創設を命じられ,その部長となった。 31年のオイラートの征討,27年のロシアとのキャフタ条約,39年のオイラートとの境界交渉に加わり功をあげた。
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