ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハルハ部」の意味・わかりやすい解説 ハルハ(哈爾哈)部ハルハぶKhalkha 16世紀以後モンゴルに現れる部名。その名はモンゴル東部を流れるハルハ川に由来する。ダヤン・ハン (達延汗)の6トゥメンの一つに数えられるが,そのうち内ハルハはダヤン・ハンの第5子アルチュ・ボラトに,外ハルハは第 11子ゲレセンジェに分封された。外ハルハはのちに領域を拡大,16世紀後半にはいまのモンゴル国のほぼ全域を占め,3つのハン部に分れた。内ハルハ諸部はリンダン (林丹)の圧迫により早くから清朝に帰順したが,外ハルハの帰順はジュンガルの侵入が起った 17世紀末のことであった。外ハルハには 1725年サイン・ノヤン・ハン部が設けられ,計4ハン部となった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「ハルハ部」の解説 ハルハ部ハルハぶKhalkha モンゴルの一部族。カルカ部ともいうダヤン=ハンがその2子にハルハ川流域の牧地を与えて定住させたのが始まり。内外のハルハに分かれる。内ハルハは早く南下して清に服し,内モンゴルの一部となったが,外ハルハは,外モンゴル全域に勢力を張り,17世紀末にガルダン率いるジュンガルの侵攻をうけ,その後清に服属した。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by