出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…そこには舞台への吸収力と,舞台・客席の相互浸透という二つのベクトルがあるように思うが,ともあれヨーロッパで16世紀末に出現する一連の常設劇場の中では,エリザベス朝ロンドンのグローブ座(シェークスピアの常打ち小屋)などが,客席張出し型(張出舞台)によって中世末期の祝典劇の参加の構造を保っている。それに対して,A.パラディオ設計になるテアトロ・オリンピコ(オリンピコ劇場)やパリの最初の常設劇場であるブルゴーニュ館劇場(ブルゴーニュ座)は,すでに舞台・客席対面型の配置をとる。 これら常設劇場の出現で注目すべきことは,一方ではそれが文学戯曲の成立・完成による,言葉を中心とした演者・観客双方における新しい集中の仕方の優位と不可分であること,しかも他方では,オペラやバレエといった舞台機構の技術的洗練による大スペクタクルの実現と演劇内部へのその統合という,視聴覚両面における総合的幻想快楽の追求を可能にする事件でもあったことである。…
… 劇場建築の再興は,ルネサンス期におけるギリシア・ローマ古典劇の復原上演とともに始まった。ウィトルウィウスの建築書の記載内容の考証からは,イタリアのビチェンツァのアカデミーが建てたテアトロ・オリンピコ(A.パラディオ設計。1584)のごとき復古的な形式のものも生まれたが,宮廷などの建物内に組み込まれる劇場の大勢は,観客席がページェントの場ともなり,また貴顕の席ともなる平土間を包みながらも,大きくは正面の奥行きのある舞台空間に相対する形態のものへと向かった。…
…ルネサンス末期のイタリア人建築家。パラディオの強い影響下にあり,その未完の劇場〈テアトロ・オリンピコ〉を完成させるとともに,その没後,ベネチアを中心とした北イタリア各地で教会堂,住宅,公共建築,劇場を設計した。ポーランド,ドイツ,オーストリア,ハンガリー,フランスを旅行し,マニエリスムの建築様式を紹介した役割は大きい。…
…彼はこれらのモティーフを明快な幾何学的形態と組み合わせ,抽象的なしかし豊かな表現性を有する舞台装置的空間を作り上げた。ベネチアのサン・ジョルジョ・マジョーレ教会(1565以後)やレデントーレ教会(1577以後),ビチェンツァのアカデミア・オリンピカのための劇場テアトロ・オリンピコTheatro Olimpico(1580‐)などは,この〈劇場的特質〉が顕著に表れた例である。またパラッツォ・キエリカーティ(ビチェンツァ,1550‐)のような開放的都市建築の創出や,都市外の建築物ビラを重要な対象としてとりあげえたのも,こうした手法のおかげであり,中世以来の都市中心の閉鎖的空間認識からの解放に,大きく貢献したといえる。…
※「テアトロオリンピコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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