ジョーンズ(読み)じょーんず(英語表記)Inigo Jones

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジョーンズ」の意味・わかりやすい解説

ジョーンズ(Andruw Rudolf Jones)
じょーんず
Andruw Rudolf Jones
(1977― )

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のアトランタ・ブレーブスの外野手としてプレー。チッパー・ジョーンズとともに、打線の中核として14シーズン連続(1994年のストライキを除く)地区優勝を支えた。現役最高といわれる中堅の守りで、守備の要としての役割も果たしている。

 4月23日、オランダ領アンティル諸島キュラソー島(現、オランダ自治領)で生まれる。1994年、ドラフト外でブレーブスに入団。同年、マイナー・リーグのルーキー級に配属され、打率2割9分をマークし、守備でも強肩を披露するなど大器の片鱗(へんりん)をみせる。1995年はA級に上がり、打率2割7分7厘、ホームラン25本、打点100でサウスアトランティック・リーグの最優秀選手(MVP)に選出されるとともに、マイナー・リーグ全体のMVPにも選ばれる。1996年は開幕をA級で迎えたが、その強打ぶりが認められてAA級、AAA級と階段を上がり、8月14日には19歳で大リーグに昇格、地区優勝、リーグ優勝に貢献した。ワールド・シリーズでは第1戦に先発出場し、いきなりホームランを2本放つ大活躍。これは1952年のミッキー・マントルが20歳で記録したワールド・シリーズでの最年少ホームラン記録を破るものであった。1997年からはレギュラーの座につき、看板打者の一人になる。1998年以降は9年連続でホームラン25本以上を放ち、また俊敏な守備で9年続けてゴールドグラブ賞を獲得している。その間、走塁でも進歩をみせて、1997年から4年連続で盗塁20以上を記録。1998年から2000年にかけての3年連続「20本20盗塁」(ホームラン20本以上、盗塁20以上)は、ハンク・アーロン以来、球団史上2人目の快挙であった。2000年はホームラン36本を打ち、オールスター・ゲームに初出場。以降、2006年までに6回出場の常連選手になる。2005年は自己最多と球団記録を更新するホームラン51本で初のホームラン王を獲得するとともに、打点128で初の打点王も手にし、ハンク・アーロン賞(リーグの最優秀打者に贈られる賞)を受賞した。また、2006年もリーグ5位のホームラン41、リーグ4位で自己最多となる打点129をマークした。

[出村義和]

2007年以降

2007年は打率2割2分2厘と低調ながら、ホームラン26本を放ち、94打点。401回の守備機会でわずかに2エラーという安定した守備で、10年連続となるゴールドグラブ賞を受賞した。2008年はロサンゼルス・ドジャース、2009年テキサス・レンジャーズ、2010年シカゴ・ホワイトソックス、2011~2012年ニューヨーク・ヤンキース、2013年から東北楽天ゴールデンイーグルスでプレー。

 大リーグでの通算成績は、出場試合2196、安打1933、打率2割5分4厘、本塁打434、打点1289。獲得したおもなタイトルは、本塁打王1回、打点王1回、ゴールドグラブ賞10回。

[編集部]


ジョーンズ(Jasper Johns)
じょーんず
Jasper Johns
(1930― )

アメリカの画家・立体作家。サウス・カロライナ州アレンデールに生まれる。サウス・カロライナ大学、ニューヨークの美術学校を卒業後、日本滞在を含む兵役を経て、1952年からニューヨークで画家として活動する。1954年にロバート・ラウシェンバーグと出会い、2人は真剣な議論を重ねながら、新しい芸術を模索した。58年、レオ・キャステリ画廊での個展の成功で一躍名声を得ると、このときからネオ・ダダの名称でよばれるようになった。第二次世界大戦前のダダイスト、マルセル・デュシャンから強い影響を受け、日常的なオブジェの観念を復活させた思索型の芸術家でもある。

 1950年代末には懐中電灯や電球、缶ビールの『彩色されたブロンズ』(1960)のようなオブジェ風の立体作品も制作した。しかし、ジョーンズを著名にしたのは、標的、アメリカの地図、アルファベット、数字などの平面的な記号を、カンバスの平面上に抽象表現主義風の筆触で描き出した絵画である。カンバスに二次元としての記号を描くことで、絵画を一個のオブジェとして知覚させようとするもので、この「事物」としての絵画は、抽象表現主義の熱っぽいタッチとは対照的に、冷ややかな感触をもつエンコスティック(蜜蝋(みつろう)画法)で描かれている。奥行きのあるイリュージョン(幻影)を拒絶したタブローは、抽象表現主義から、現実世界の事物や日常的環境へと関心を移動させる重要な転換点となった。

 ラウシェンバーグとの交友は1962年まで続き、1970年代には、ジョーンズはクロスハッチ模様を用いた緊張感のある抽象に転じた。しかし、ネオ・ダダとよばれた2人の作品群は、日常的オブジェや身近な複製された図像を用いることで、1960年代に台頭するポップ・アートの先駆的役割を果たすことになった。

[石崎浩一郎]

『東野芳明著『ジャスパー・ジョーンズ そして/あるいは』(1979・美術出版社)』『東野芳明著『ジャスパー・ジョーンズ――アメリカ美術の原基』(1986・美術出版社)』『リチャード・フランシス著、東野芳明他訳『ジャスパー・ジョーンズ』(1990・美術出版社)』『『現代美術13 ジャスパー・ジョーンズ』(1993・講談社)』


ジョーンズ(Quincy Jones)
じょーんず
Quincy Jones
(1933― )

アメリカの作曲・編曲家、指揮者、プロデューサー、ジャズ・トランペット奏者。シカゴに生まれ、10歳のときシアトルに移住。高校時代からトランペットを吹き、15歳のときレイ・チャールズと楽団を結成。シアトル大学を経てボストンのシュリンガー・ハウス(現バークリー音楽大学)に学ぶ。トランペット奏者・編曲家として、1951年から1953年までライオネル・ハンプトン楽団に参加。編曲の才能が注目され、1956年ディジー・ガレスピー楽団に協力して名声を得た。1961年からマーキュリー・レコードで制作を担当し、1964年から1966年まで副社長を務めた。映画音楽も『質屋』The Pawnbroker(1965)、『夜の大捜査線』In the Heat of the Night(1967)、『ウィズ』The Wiz(1978)、『カラーパープルThe Color Purple(1985)など数多く手がける。

 レコード・プロデューサーとしての活躍はとくに華々しく、マイケル・ジャクソンMichael Jackson(1958―2009)のアルバム『オフ・ザ・ウォール』Off the Wall(1979)、『スリラー』Thriller(1982)は空前のヒットとなった。1985年にアフリカ飢餓救済チャリティー・レコード『ウィ・アー・ザ・ワールド』のプロデューサーと指揮者を務めた。グラミー賞の受賞記録は、ポピュラー・アーティストとして最多であり、1963年から1993年までに26回受賞している。

[青木 啓]

『アレックス・ヘイリー述、マレー・フィッシャー編、住友進訳『アレックス・ヘイリー プレイボーイ・インタビューズ』(1998・中央アート出版社)』『Quincy Jones:Q;The Autobiography of Quincy Jones(2001, Doubleday)』


ジョーンズ(Chipper Jones)
じょーんず
Chipper Jones
(1972― )

アメリカのプロ野球選手(右投左右打)。本名Larry Wayne Jones Jr.。大リーグ(メジャー・リーグ)のアトランタ・ブレーブスでおもに三塁手、外野手としてプレー。いわゆる長距離砲ではないが左右両打席からコンスタントに快打を飛ばす好打者で、1991年から2005年まで14シーズン連続地区優勝というブレーブスの黄金時代を築いた主要メンバー。

 4月24日、フロリダ州デランドで生まれる。ボールズ高から1990年、ドラフト1巡目(全体1番目)指名を受けてブレーブスに入団、大型遊撃手として大きな期待を背負いプロ生活を開始した。1993年にはマイナー・リーグのAAA級で打率3割2分5厘の好成績をあげ、シーズン終盤に大リーグへデビュー、初打席で初安打をマークした。しかし、翌春のキャンプで左膝(ひざ)を故障して1年を全休したのち回復し、三塁へコンバートされ、1995年にレギュラーの座を確保した。同年、ホームラン23本、打点86の好成績をあげたが、新人王は13勝をあげたロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄にさらわれた。1996年から2006年まで12年連続でホームラン20本以上をマーク、その間打点100以上を8回、打率3割以上も8回記録したが、なかでも1999年は打率3割1分9厘、自己最多のホームラン45本と盗塁25、打点110の好成績で最優秀選手(MVP)に選出された。

[出村義和]

2007年以降

2007年は故障もあり、出場は134試合。打率はリーグ2位の3割3分7厘で、ホームランは29本ながら連続20本以上を13年に伸ばした。また、102打点をあげて2003年以来の100打点・100得点を記録するとともに、通算2000本安打、400二塁打を達成した。

 2007年までの通算成績は、出場試合1895、安打2117、打率3割7厘、本塁打386、打点1299。獲得したおもなタイトルは、MVP1回。

[編集部]


ジョーンズ(Daniel Jones)
じょーんず
Daniel Jones
(1881―1967)

イギリスの音声学者。ロンドン大学教授、1950年度国際音声学協会会長。同協会考案の国際音声字母による彼の『英語発音辞典』An English Pronouncing Dictionary(1917)は生前12版を重ね、没後ギムスンAlfred C. Gimson(1917―1985)の改訂で14版(1977)まで出、今日なおイギリス英語発音の指針をなす。日本の英和辞典や教科書の発音表記の多くはジョーンズ式表記に基づく。また母音の記述の尺度として聴覚印象と調音に基づく基本母音を設定し、これを自ら発音したレコード『The Cardinal Vowels』(1943)がある。『An Outline of English Phonetics』(1918、9版・1960)、『The Phoneme ―― Its Nature and Use』(1950)など著書多数。彼は「音素」を各言語における「音の一族」として物理的にとらえつつ、心理的解釈も完全には排除しない。

[大束百合子 2018年6月19日]

『日本音声学会編『音声学大辞典』(1976・三修社)』


ジョーンズ(Richard Jones)
じょーんず
Richard Jones
(1790―1855)

イギリスの経済学者。ケンブリッジのケーヤス・カレッジで神学を学び、牧師となったが、産業革命後の不安定な社会状況のなかで、労働者・農民階級の現状と将来に関心をもつようになり、1831年に主著『富の分配と租税の源泉』An Essay on the Distribution of Wealth and on the Sources of Taxationを刊行した。33年にはキングズ・カレッジの経済学教授となり、35年以降はT・R・マルサスの後任として東インド・カレッジの経済学および歴史学教授となり、以降20年間この職にあった。またその間「十分の一税金納法」の成立とその実施のためにも活躍した。経済学者としては、資本制経済の歴史性を初めて明らかにしたことで知られ、歴史学派の先駆者とする評価もある。彼は、労働者が生活資料を獲得する形態の違いから、諸国民の経済構造を二つに大別し、土地所有に基づく前資本制経済と、資本家が分配を媒介する資本制経済に区分し、おのおのの分配法則を解明したが、とりわけ前資本制経済における小農地代の諸形態を詳しく分析している。また、地主階級の利害と社会の他の階級の利害は一致するとして、D・リカードの地代論を批判し、地主階級を擁護したことでも知られる。

[千賀重義]

『大野精三郎著『ジョーンズの経済学』(1953・岩波書店)』


ジョーンズ(Allen Jones)
じょーんず
Allen Jones
(1937― )

イギリスのポップ・アートの画家、彫刻家、版画家。サウサンプトン生まれ。1955年から1959年までホーンシー美術学校、1959年から1960年まで王立美術学校に学ぶ。王立美術学校では、一枚の絵のなかに抽象的要素と具象的要素を混在させるキタイRonald Brooks Kitaj(1932―2007)の影響を受ける。1961年以降、欧米各地で教え、油彩やアクリルによる絵のほかに版画や立体作品も制作。作品のモチーフはエロティックなものが多く、ハイヒールやブーツを履いた下着姿の女性像がよく登場する。1970年(昭和45)に東京国立近代美術館で開催された「現代イギリス美術展」にリアルな女性人体像とクッションを組み合わせた彫刻『椅子』を出品した。

[斉藤泰嘉]


ジョーンズ(James Jones)
じょーんず
James Jones
(1921―1977)

アメリカの小説家。イリノイ州生まれ。ボクサーあがりの天才らっぱ手の悲劇を中心に据えた暴露的軍隊小説『地上(ここ)より永遠(とわ)に』(1951)によって絶大な人気を博す。ガダルカナル戦記『細い赤い線』(1962)、友人の手で完成された遺作『汽笛』(1978)とともに三部作をなす。作風は概して自然主義的だが、中編『ピストル』(1959)は珍しく象徴的作風をとっている。中西部小都市の兄弟の物語『逃げてきた奴(やつ)』(1957)、ヘミングウェイばりのスキンダイビング物語『危険に親しめ』(1973)はともに性の葛藤(かっとう)が主要テーマ。ほかに短編集『アイスクリーム頭痛』(1968)などがある。

[寺門泰彦]


ジョーンズ(LeRoi Jones)
じょーんず
LeRoi Jones
(1934―2014)

アフリカン・アメリカン(黒人)の詩人、劇作家、批評家。ニュー・ジャージー州生まれ。誕生名エバリット・リロイ・ジョーンズ。1960年代の一連の人種差別的できごとや事件を経験するなかで、ビート世代の白人文化を拒絶、黒人民族主義者となりつつあったが、1965年のマルコム・エックスの暗殺が決定的な契機となり、拠点をニューヨークのハーレムに移し、名前もイスラム的にイマム・アミール・バラカ、のちにアミリ・バラカと改名した。

[関口 功・編集部]


ジョーンズ(David Jones)
じょーんず
David Jones
(1895―1974)

イギリスの詩人、画家。ウェールズ生まれ。「モザイク」手法による自伝的な戦争小説『括弧(かっこ)に入れて』(1937)やアーサー王伝説を枠組みとする実験的で難解な長編詩『破門宣告』(1952)などによって知られ、注目されている。画家としてはウィリアム・モリスの流れをくむ版画や宗教的な水彩画などを手がけ、S・T・コールリッジの『老水夫の歌』に触発されてつくった銅版画はとくに有名。

[富士川義之]


ジョーンズ(Inigo Jones)
じょーんず
Inigo Jones
(1573―1652)

イギリスの建築家。ロンドン生まれ。当初、宮廷仮面劇の衣装や舞台装置の制作に携わっていたが、二度目のイタリア旅行(1613~15)でパッラディオのルネサンス建築の研究に専念。1615年、国王ジェームズ1世により建築総監督官に任命され、ピューリタン革命の勃発(ぼっぱつ)(1642)までその任にあった。その間、ロンドンのバンケッティング・ハウス(1622)やグリニジのクイーンズ・ハウス(1635)など「イギリスのパッラディオ」と称されるにふさわしい作品を残し、イギリスに古典主義建築を定着させた。またストーンヘンジの研究家としても知られるが、彼はこれを古代ローマの遺構と結論づけている。

[谷田博行]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョーンズ」の意味・わかりやすい解説

ジョーンズ
Jones, Vaughan

[生]1952.12.31. ニュージーランド,ギズボーン
[没]2020.9.6. アメリカ合衆国,テネシー州,ナッシュビル
ボーン・ジョーンズ。ニュージーランドの数学者。フルネーム Vaughan Frederick Randal Jones。作用素環論と結び目理論に関する業績により,1990年にフィールズ賞を受賞した。1979年ジュネーブ大学で博士号を取得。1985年にカリフォルニア大学バークリー校の教授に就任。1990年に京都市で開催された国際数学者会議で,フィールズ賞を授与された。ジョーンズは作用素環論における因子の分類について研究し,その過程において結び目の多項式不変量を発見した。結び目は組みひもの両端を閉じることによって得られる。ジョーンズは作用素環論を用いて組みひも群上のトレースを定義し,これを用いて結び目の不変量を定義した。この不変量はのちに,2変数の多項式不変量に拡張され,古典的なアレクサンダー多項式もその特殊化したものとしてとらえられることが明らかになった。ジョーンズによる不変量は結び目とその鏡像を区別できるなどの利点があり,結び目理論に応用される一方で,統計力学,共形場理論,量子群との関連など新たな研究領域が創成された。著書に"Actions of Finite Groups on the Hyperfinite Type II1 Factor"(1980),"Subfactors and Knots"(1991),フレデリック・M.グッドマン,ピエール・ド・ラ・アルプとの共著"Coxeter Graphs and Towers of Algebras"(1989)がある。

ジョーンズ
Jones, James Earl

[生]1931.1.17. ミシシッピ,アーカバトラ
アメリカ合衆国の俳優。舞台俳優として注目を集め,1970年代以降はテレビ番組や映画にも数多く出演している。生まれる前に父親(俳優のロバート・アール・ジョーンズ)が家を出たため,幼少期の大半はミシガン州の祖父母のもとで過ごす。ミシガン大学で演劇を専攻。1957年にオフ・ブロードウェーで初舞台を踏み,1961~73年にはジョゼフ・パップが率いるニューヨーク・シェークスピア・フェスティバルの舞台に出演した。黒人ボクサー初のヘビー級チャンピオン,ジャック・ジョンソンの悲劇的な人生を題材にした舞台 "The Great White Hope"(1968)で主役を務め,トニー賞を受賞。のちに映画化作品『ボクサー』(1970)にも主演している。1981~82年にはシェークスピア劇『オセロ』Othelloに主演し,高い評価を得た。『博士の異常な愛情』Dr. Strangelove(1964)で映画デビュー。その後はトム・クランシー原作の人気シリーズ『レッド・オクトーバーを追え!』The Hunt for Red October(1990),『パトリオット・ゲーム』Patriot Games(1992),『今そこにある危機』Clear and Present Danger(1994)をはじめ,数多くのヒット作に出演している。だがおそらく最も有名なのは,悪役ダース・ベイダーの声で出演した映画『スター・ウォーズ』Star Wars(1977)のシリーズだろう。

ジョーンズ
Jones, Marion

[生]1975.10.12. カリフォルニア,ロサンゼルス
マリオン・ジョーンズ。アメリカ合衆国のスポーツ選手。早くから陸上競技の才能を現し,12歳のときには国際大会に参戦した。高校時代は優秀なバスケットボール選手でもあり,1993年にはカリフォルニア州 1部リーグの年間最優秀選手に輝く。その後,バスケットボールの奨学生としてノースカロライナ大学チャペルヒル校に入学した。1997年に卒業したのちは陸上競技に専念。2000年シドニー・オリンピック競技大会では 100m(10秒75),200m(21秒84),1600mリレー(3分22秒62)で金メダルを,走り幅跳びと 400mリレーでは銅メダルを獲得し,一大会で陸上競技のメダルを 5個獲得した初の女子選手となった。長期にわたってステロイド使用疑惑をかけられ,2006年に禁止薬物の陽性反応を示したが,のちに追跡検査で疑いが晴れた。しかし翌 2007年,連邦政府のドーピング調査の際に薬物使用を否定したのは偽証だったと認め,筋肉増強剤(アナボリック・ステロイド)の使用を明らかにした。2007年11月,国際陸上競技連盟(→ワールドアスレティックス)は 2000年9月以降のジョーンズの記録をオリンピックのタイトルを含めすべて抹消した。2008年1月,ステロイド使用についての連邦捜査官への偽証と検査詐欺計画への関与の罪で禁錮 6ヵ月の実刑判決を受けた。

ジョーンズ
Jones, Daniel

[生]1881.9.12. ロンドン
[没]1967.12.4. ロンドン
ウェールズ系イギリスの音声学者。 1903年ケンブリッジ大学卒業。 07年ロンドン大学の音声学の講師。 21~49年同教授。定年後,名誉教授。 50~67年国際音声学協会会長をつとめた。『英語の発音』 The Pronunciation of English (1909) ,『英語発音辞典』 An English Pronouncing Dictionary (17) ,『英語音声学概説』 An Outline of English Phonetics (18) などで英語の発音を記述,解説し,日本の英語学,音声学,英語教育にも大きな影響を与えた。また,その音韻観をまとめたものに『音素』 The Phoneme; Its Nature and Use (50) がある。また基本母音を設定したことでも知られる。

ジョーンズ
Jones, Leroi

[生]1934.10.7. ニュージャージー,ニューアーク
アメリカの黒人詩人,劇作家。ハワード大学卒業。詩集『20巻の自殺ノートへの序』 Preface to a Twenty Volume Suicide Note (1961) ,『ブラック・マジック』 Black Magic (69) ,ジャズをアメリカ社会史のなかで跡づけた評論『ブルース・ピープル』 Blues People: Negro Music in White America (63) ,『根拠地』 Home (66) ,『ブラック価値大系』A Black Value System (70) ,戯曲『ダッチマン』 Dutchman (64) ,『奴隷』 The Slave (65,第2回国際芸術祭賞) などがあり,1960年代からは Imamu Amiri Barakaというアフリカ名を用い,ブラックパワーの闘士として人種問題に対する激しい戦闘的な姿勢が目立っている。

ジョーンズ
Jones, Robert Edmond

[生]1887.12.12. ニューハンプシャー,ミルトン
[没]1954.11.26. ニューハンプシャー,ミルトン
アメリカの舞台装置家。 1910年ハーバード大学卒業後,ニューヨークで舞台装置を手がける。ヨーロッパに渡り,M.ラインハルトらに学んで帰国後は,写実主義とは決別した象徴的な舞台づくりに貢献。なかでも E.オニールと組んで『楡の木陰の欲望』 (1924) ,『喪服の似合うエレクトラ』 (31) などの名作を生んだ。著書に,K.マガウアンとの共著『ヨーロッパの舞台装置』 Continental Stagecraft (1922) ,『劇的想像力』 The Dramatic Imagination (41) などがある。

ジョーンズ
Jones, Inigo

[生]1573.7.19. ロンドン
[没]1652.6.21. ロンドン
イギリスの建築家,舞台美術家。修業時代についてはほとんど知られていないが,1603年頃イタリアに行って絵画および舞台美術を学び,帰国後宮廷のために衣装のデザインにたずさわり,また仮面劇を演出し,額縁舞台,遠近法による背景,場面の変化を表わす回転スクリーン,回り舞台などの使用を紹介するなど,イギリス演劇界に大きな功績を残した。 13~14年再度イタリアに行き,パラディアニズム建築を研究。帰国後ジェームズ1世によって王室建築総監督官に任命され,イギリスにパラディオ様式を導入して同国の建築に新生面を開く。主作品はクイーンズ・ハウス (1635完成,現国立海事博物館,グリニッジ) ,饗宴館 (19~22,ロンドン) ,コベントガーデン (30,ロンドン) など。

ジョーンズ
Jones, Richard

[生]1790. ロンドン近郊タンブリッジウェルズ
[没]1855.1.26. ヘイリベリ
イギリスの経済学者。ケンブリッジ大学で神学を修め,1816年に卒業。牧師をつとめるかたわら経済学を学ぶ。 1831年に主著『地代論』 An Essay on the Distribution of Wealth and on the Sources of Taxationを出版,33年キングズ・カレッジの政治経済学教授,35年 T.R.マルサスの後任で東インド・カレッジの政治経済学,歴史学の教授となる。資本主義的経済構造の歴史性を初めて明らかにし,資本主義を絶対的なものとみたリカードを批判した。後半生は十分の一税金納化委員会など,公的分野の仕事に力を注いだ。

ジョーンズ
Jones, Sir William

[生]1746.9.28. ロンドン
[没]1794.4.27. カルカッタ
イギリスの法学者,インド学者。カルカッタ高等法院判事としてインドに滞在 (1783~94) した間にベンガル・アジア協会を創設した (84) 。諸言語によく通じ,サンスクリット語,ラテン語,ギリシア語の類似性を研究して,1786年インド=ヨーロッパ比較言語学上における母語の仮説を樹立した。この年は近代言語学の出発点とされる。また,サンスクリット古典文学の紹介検討を行い,インド学の開拓者とみなされている。カーリダーサの戯曲の『シャクンタラー』の英訳 (89) ,『マヌ法典』の英訳 (94) を公刊した。主著『インド法抄典』 Digest of Hindu Laws,『ペルシア語文法』 Persian Grammarなど。インド文化をヨーロッパに知らせた功績が大きい。

ジョーンズ
Jones, John Paul

[生]1747.7.6. カークカッドブライド,カークビーン
[没]1792.7.18. パリ
アメリカ独立革命期の海軍軍人。独立戦争中,アメリカ海軍のフリゲート艦長としてノバスコシアからバミューダにいたる大西洋,さらにイングランド海域での戦闘を指揮。 1775年『アルフレッド』号に乗組み巧みな戦闘指揮能力を示し,79年9月 23日イングランド東沖合いで『ボノム・リチャード』号を指揮して,イギリス艦『セラピス』号と戦いこれを拿捕して,アメリカ海戦史上初の大勝利をもたらした。その後オランダのテクセルに走り,『アライアンス』号を指揮してイギリス艦隊の重囲を突破した。 88年エカテリーナ2世 (大帝) 治下のロシアに招かれ,対トルコ戦争に参加して黒海で巡洋艦を指揮し不評を買った。

ジョーンズ
Jones, Bobby

[生]1902.3.17. ジョージア,アトランタ
[没]1971.12.18. ジョージア,アトランタ
アメリカのアマチュアゴルファー,弁護士。本名 Robert Tyre Jones,Jr.。「球聖」といわれ,1923~30年,英米のアマチュア,オープン四つの選手権で 13回優勝。特に 1930年には四つのタイトルを独占するゴルフ史上初の「グランドスラム」を達成し,今日のアメリカゴルフ界興隆に大きな役割を果たした。引退後の 1934年,ジョージア州オーガスタにオーガスタ・ナショナル・ゴルフコースを創設。ゴルフ界で最も権威あるマスターズトーナメント開催に尽力した。

ジョーンズ
Jones, Sir Harold Spencer

[生]1890.3.29. ロンドン
[没]1960.11.3. ロンドン
イギリスの天文学者。ケンブリッジ大学卒業後,グリニッジ天文台,南アフリカの王立天文台勤務。グリニッジ天文台第 10代台長 (1933) 。天文学上の基本定数のより正確な決定に尽力。 1931年の小惑星エロスの大接近時の観測に基づき,太陽視差を計算し (41) ,その結果から太陽までの距離をおよそ1億 4900万 kmと発表 (42) ,その功により 43年ナイトの称号を授けられた。ほかに地球物理学上の研究にもたずさわり,地球の自転,地磁気の研究などが知られる。王立天文協会金メダル,ロイヤル・ソサエティからロイヤル・メダルを受賞した。

ジョーンズ
Jones, James

[生]1921.11.6. イリノイ,ロビンソン
[没]1977.5.9. ニューヨーク,サウサンプトン
アメリカの小説家。日本軍の真珠湾攻撃前夜のハワイを舞台に,軍隊の内情を赤裸々に描いた大作『地上より永遠に』 From Here to Eternity (1951) によって,大きな反響を呼び,第2次世界大戦後の問題作家の一人になった。ほかに,『逃げてきたやつ』 Some Came Running (57) ,『ピストル』 The Pistol (59) ,短編集『アイスクリームの頭痛』 The Ice-Cream Headache and Other Stories (68) などがある。

ジョーンズ
Jones, Anson

[生]1798.1.20. マサチューセッツ,グレートバンリントン
[没]1858.1.9. テキサス,ヒューストン
メキシコから分離したテキサス共和国 (1837~45) 最後の大統領 (在任 44~45) 。 1833年テキサスのブラゾリアに移りテキサスの開拓者社会の指導者となる。テキサスをメキシコから独立させる運動の主唱者の一人。 37~38年ブラゾリア郡からテキサス議会に選出され,44年 12月からテキサス共和国大統領。 45年7月4日テキサスがアメリカ合衆国に合併を決めたので 46年1月 16日,後継者のテキサス州知事 J.ヘンダーソンに職務を譲った。

ジョーンズ
Johns, Jasper

[生]1930.5.15. ジョージア,オーガスタ
アメリカの画家。サウスカロライナ大学で学び,第2次世界大戦後には駐留軍兵士として日本にも滞在した。 1952年からニューヨークに住む。ティファニーなどのディスプレーで生計を立てながら,その間に星条旗,標的,数字などを描いた絵画を 58年に発表して注目を浴びる。物体と視覚の関係をモチーフとし,本物の缶ビールを正確に模したブロンズ作品なども制作している。 R.ラウシェンバーグとともに,アメリカの抽象表現主義以降の代表的作家と目される。代表作『旗』 (1955,ニューヨーク近代美術館) 。

ジョーンズ
Jones, Henry Arthur

[生]1851.9.20. バッキンガムシャー,グランドバラ
[没]1929.1.7. ロンドン
イギリスの劇作家。メロドラマ『銀の王』 The Silver King (1882) によって好評を得,その後,より深刻な方向に転じ,『マイケルと彼の堕ちた天使』 Michael and His Lost Angel (96) などの問題劇を書いて,ピネロと並び称された。代表作は『デイン夫人の擁護』 Mrs. Dane's Defence (1900) 。

ジョーンズ
Jones, Margo

[生]1913.12.12. テキサス,リビングストン
[没]1955.7.25. ダラス
アメリカの演出家。ダラスのサウスウェスタン演劇学校で学んだのち,ヒューストンのコミュニティー・シアターや大学演劇に関係。 1945年ダラスに円形劇場を造り,T.ウィリアムズの初期の戯曲など実験的な作品を上演。主著『円形劇場』 Theatre in-the-Round (1951) 。

ジョーンズ
Jones, Hilary Pollard

[生]1863.11.14. バージニア,ハノーバー
[没]1939.1.1. ワシントンD.C.
アメリカの海軍軍人。アメリカ=スペイン戦争に参加,1917年海軍少将。第1次世界大戦で大西洋巡洋艦隊を指揮。 22~23年アメリカ艦隊司令長官。 23年海軍長官。 27年ジュネーブ海軍軍縮会議にアメリカ代表として出席。

ジョーンズ
Jones, Eli Stanley

[生]1884.1.3.
[没]1973
アメリカのメソジスト派宣教師。アーズベリー大学で学んだのち,1907年宣教師としてインドに渡り伝道した。アシュラムと呼ばれる独特の修養道場をインドに設立し,それをアメリカに紹介した。 49年以来何度か来日して伝道活動を行なった。主著『インド途上のキリスト』 Christ on Indian Road (1925) 。

ジョーンズ
Jones, Jacob

[生]1768.3. デラウェア,スミルナ
[没]1850.8.3. フィラデルフィア
アメリカの海軍軍人。アメリカ=イギリス戦争 (1812) でスループ船『ワスプ』の艦長として,イギリス軍艦『フロリック』を撃破して (12.10.18.) ,国民的英雄となった。 1821~23年アメリカ地中海艦隊司令官。 26~29年太平洋艦隊司令官をつとめた。

ジョーンズ
Jones, Owen

[生]1809.2.15. ロンドン
[没]1874.4.19. ロンドン
イギリスのデザイナー,建築家。ロイヤル・アカデミーに学ぶ。 1851年ロンドン万国博覧会作品管理者,52年水晶宮の装飾監督に任命される。主著には『装飾の根本原理』 The Grammar of Ornament (1856) がある。

ジョーンズ
Jones, Joseph Stevens

[生]1809.9.28. ボストン
[没]1877.12.29. ボストン
アメリカの俳優,劇作家。ヤンキーの性格や気質を描いた作品が多く,代表作は『銀の匙』 The Silver Spoon (1852) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報