イタリア・ルネサンス後期の建築家。本名アンドレア・ディ・ピエトロAndrea di Pietro della Gondola。古典建築に関する技法書・研究書,兼作品集でもある《建築四書》(1570)の著作を通しひろく知られ,17世紀以降その作風にならうパラディオ主義の風潮をヨーロッパ各地にまきおこした。新古典主義期以後は,ウィトルウィウス,アルベルティとならぶ古典主義建築の権威として信奉されるまでになる。パドバの貧しい職人の子に生まれる。10代半ばに隣のビチェンツァVicenzaに移って石工の修業を積み,やがてビチェンツァ出身の著名な文人貴族トリッシノGian Giorgio Trissinoに建築の才能を見いだされ,〈パラディオ〉の名を与えられた。ビチェンツァの中心にある公共建築パラッツォ・デラ・ラジョーネ(通称〈バシリカ〉)の古典的意匠への改装(1549以後)で一躍名声を得,以後ビチェンツァを中心とするベネト地方の多くの貴族・文化人たちとの交流を通じ,すぐれた作品を残した。ベネチアの人文主義者バルバロDaniele Barbaro(1514-70)との交友は有名で,共同してウィトルウィウス注釈書の作成にあたり(《バルバロ版ウィトルウィウス》1556,パラディオが図版の多くを担当),またルネサンス期のビラ中の傑作とされるビラ・バルバロ(トレビゾTreviso地方,1557以後)を残している。作品の大半(未完のものも多い)は《四書》に収録図示されて,のちのパラディオ主義の手本とされたが,なかでもビチェンツァ郊外のビラ・アルメリコ(通称〈ロトンダRotonda〉1567以後)は,正方形平面の中央にドームをのせた円形広間を配し,四面には同形のギリシア神殿風玄関を取り付けるという姿で,古典的形式美の極致として,近代に至るまで繰り返し模倣された。しかしその手法にはウィトルウィウス的な規範からは逸脱したものが多く,この神殿風玄関モティーフの扱いのほかにも,〈バシリカ〉で用いられたアーチ両脇に柱梁の小間を配するセルリアーナSerliana(またはパラディオ・モティーフ),半円櫛形の浴場窓(古代浴場に用いられた窓)などの定型化したモティーフを,古典的制約から離れた記号的なものとして用いる場合が多い。彼はこれらのモティーフを明快な幾何学的形態と組み合わせ,抽象的なしかし豊かな表現性を有する舞台装置的空間を作り上げた。ベネチアのサン・ジョルジョ・マジョーレ教会(1565以後)やレデントーレ教会(1577以後),ビチェンツァのアカデミア・オリンピカのための劇場テアトロ・オリンピコTheatro Olimpico(1580-)などは,この〈劇場的特質〉が顕著に表れた例である。またパラッツォ・キエリカーティ(ビチェンツァ,1550-)のような開放的都市建築の創出や,都市外の建築物ビラを重要な対象としてとりあげえたのも,こうした手法のおかげであり,中世以来の都市中心の閉鎖的空間認識からの解放に,大きく貢献したといえる。
執筆者:福田 晴虔
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