日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディン・ボーリン」の意味・わかりやすい解説
ディン・ボーリン
でぃんぼーりん / 丁部領
Din Bō-Linh
(925?―979)
ベトナム、丁朝(966~980)の創始者。驩(けん)州(ゲアン省)刺史丁公著の子。長子の璉(れん)(リエン)とともに十二使君の分立(12州の乱、963~965)を平定して、紅河(ソン・コイ川)デルタ地帯を統一し大勝(万勝)王と称した。966年、都を華閭(かろ)(ホアルウ、ニンピン省)に定め、宮殿を建て皇帝の位につき、国を大瞿越(だいくえつ)(ダイコベト)と号し、朝儀を定め百官を置き丁朝を創立した。年号を太平といい、また軍制を整備した。975年、宋(そう)朝から交趾(こうし)郡王に封ぜられた。979年10月、華閭城内で璉とともに暗殺された。
[河原正博]
『河原正博著『ベトナム独立王朝の成立と発展』(山本達郎編『ベトナム中国関係史』所収・1975・山川出版社)』