改訂新版 世界大百科事典 「トンヤブグハガン」の意味・わかりやすい解説
トン・ヤブグ・ハガン (統葉護可汗
)
Ton Yabghu Qaghan
生没年:?-628
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…オアシス地帯と東西通商ルートを抑えた西面可汗の勢力にくらべると,モンゴリアの突厥は大可汗のほかに小可汗が分立し不安定であった。 583年には西面可汗が独立して西突厥といわれ,のち射匱(しやき)可汗,トン・ヤブグ・ハガン(統葉護可汗)のころ最盛期を迎えた。西突厥は単に〈十姓〉〈十箭〉〈オン・オクOn Oq〉とも呼ばれ,それがイリ(伊犂)・天山北麓方面と天山西方方面とに分かれていたという。…
※「トンヤブグハガン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...