ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タバコ・ボイコット運動」の意味・わかりやすい解説
タバコ・ボイコット運動
タバコ・ボイコットうんどう
Taḥrīm-i Tanbākū
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イランのイギリス資本へのタバコ利権授与に対する反対運動。1890年,カージャール朝政府はイギリス人タルボットに同国産タバコの原料買付けから流通全般にわたる利権を与えた。これに対し,バーザール商人や国民一般の不満が高まり,91年12月の十二イマーム派最高権威シーラージーによる喫煙禁止のファトワーを契機に,広範なボイコット運動が展開された。ボイコットと流血事件による緊迫を前に,92年1月,利権は破棄された。
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…王領地の売却,コサック旅団の創設(1879)によって,財政危機と弱体化した軍事力を回復しようと図ったが,徒労に終わった。治世末期の91‐92年には,立憲思想とアフガーニーのパン・イスラム主義の影響をうけたウラマー,商人,民衆によるタバコ・ボイコット運動の挑戦をうけた。96年,反体制派のミールザー・レザー・ケルマーニーによって暗殺された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」