イスラムの学者・宗教指導者層。単数形はアーリム`ālim。ウラマーとは,イルム`ilm(知識)をもつ人々を指す語であるが,ここではイルムとは知識一般ではなく,宗教的な知識という意味で使われている。したがって,ウラマーとは宗教諸学の学者を指していて,哲学や数学などいわゆる古代諸学の学者は含まれない。法学者(ファキーフfaqīh),ハディース伝承者(ムハッディスmuḥaddith)もコーラン読誦者(クッラーqurrā’)もすべてウラマーの一員である。
現実の社会においてウラマーは,学者,教師,裁判官(カーディー),ムフティー,説教師,礼拝の導師(イマーム),クッラー,モスクの管理者などとして,ムスリムの生活にとってはなくてはならない存在であった。イスラムはキリスト教会におけるような聖職者制度を本来認めていない。しかし他の宗教の聖職者のもつ機能のあるものは,イスラムにおいてはウラマーが果たしている。ウラマーが担当する役割は,宗教的諸施設の維持管理,礼拝などの宗教儀礼をつかさどること,信徒を精神的に指導し,イスラムの教えに関するもろもろの問題について信徒たちの疑問に答え教えること(とくに11世紀以後はウラマーは教育の独占的担い手となった),異端や他宗教の攻撃からイスラムを護ること(護教)などである。このほかにイスラムの独自性に由来する重要な機能がウラマーに課せられた。それはイスラム法(シャリーア)の解釈と適用ということである。ウラマーは,まさにこのシャリーアの解釈者・執行者でもあるということにより,一般のムスリムの社会生活のきわめて現実的な側面にまで深くかかわってきたのである。
ウラマーがはっきりと一つの社会層として認められるほど影響力と数の点で成長したのは,アッバース朝(750-1258)時代に入ってからである。ウマイヤ朝(661-750)時代には,すでにさまざまな問題で見解の相違がみられるようになり,教義とか法の問題を扱う学者が出てきたが,彼らの多くは政治の枠外で独自に活動を行っていた。しかしアッバース朝時代になると,イスラム諸学が大いに発展し,それに参加する人の数が増大する一方,統治理念としてのスンナ派イスラムを確立するために,アッバース朝は多くのウラマーを後援し,多くの者をカーディーに任命したりした。
イスラムの独自性から,独特の宗教的役割をもって成立したウラマー層は,同時に重要な社会的役割をも担うこととなった。第1に社会統合的機能である。社会の各層から,またさまざまな地域から出てきているウラマーは,彼らの果たすべき役割とも相まって,社会各層あるいは社会を構成する諸共同体を統合する機能をもった。この社会統合機能は都市社会でとくに顕著に現れたが,都市と農村(むら)もウラマーのネットワークによって結びつけられ地域の連帯感を支えた。
ウラマーはムスリムの社会と政治的支配権力(国家)の間の仲介者でもあった。ウラマーの政治的仲介機能は,ウラマーがもつシャリーアの解釈者としての立場,ムスリム大衆の宗教的指導者としての立場,そしてその社会統合的機能などにその基盤がある。支配者はウラマー層の同意と協力が必要であった。またウラマーの側でもムスリム社会の防衛,秩序の維持,財政的援助などの点で,安定した支配権力を必要とした。かくして支配権力とウラマー層には相互依存関係が生まれた。このような関係は,アッバース朝時代から近代に至るまで,すべてのイスラム国家で多かれ少なかれ存在した。
ウラマー層と政治的支配権力の相互依存関係は,ウラマーの腐敗・堕落を生み出したが,ウラマー層が国家に完全にのみ込まれてしまわなかったのは,ウラマーがムスリム社会の代表として,イスラム的政治理念をもって,支配者の権力行使のあり方をチェックする機能をもいくぶんなりとも果たしていたからである。
この点は近代になってヨーロッパの勢力がイスラム世界に入ってきた時に,とくに意味をもつことになった。イスラム世界の各地で,ウラマーはヨーロッパの侵略に反抗する民族主義的運動の精神的指導者であると同時に組織者でもあった。近代主義者たちのさまざまな活動にもかかわらず,実際にムスリム大衆を動かしたのは依然としてウラマーであった。とくに中央政府の力の弱い国家,たとえばモロッコやイランなどでは,19世紀末から20世紀にかけて,むしろウラマーの力が強まっている。ウラマーにとっては西洋的イデオロギーそのものはそれほど脅威ではなく,むしろ大衆をより強く自らのほうへ引きつける契機にさえなった。
ウラマーにとって近代における真の危機は,彼らの存在の経済的・政治的基盤が失われていったということである。教育が国家の管理下に置かれる一方では,世俗化が進み,彼らの最大の職業市場は失われていった。国家機関が世俗化するにつれ,またヨーロッパ法が採用されるにつれ,それにふさわしい新しい官僚が養成され,ウラマーは官職を失っていった。
ウラマーの社会的影響力の低下は,本来ウラマーがもっている精神的指導性が失われた結果ではないので,なんらかの理由で社会がイスラム的な価値というものを求めようとする時には,再び浮上してくることがある。イラン革命がこの最もよい例である。また近年におけるイスラム的教育の復活の動きは,そのような傾向を表していると考えられる。
執筆者:湯川 武
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イスラム世界における伝統的教学の担い手である知識人層。アラビア語の「知識ある者」(アーリム‘ālim)の複数形。ここでいう知識とは、コーラン、スンナ(範例)およびそれに基礎を置いたイスラム法、イスラム神学に関するものをさし、神秘主義、外来のギリシア的哲学、さらに近代の諸科学に関するものはそれ自身としては含まれない。イスラム教の教義、制度の実質を規定する共同体の合意(イジュマー)を形成する当事者である。共同体全体の合意は、さまざまな次元で合意を積み重ねていく緩慢な過程を経て成立したものであり、ウラマーの意見を権威的に統一する機関は存在しない。実際にウラマーを形づくるのは神学校(マドラサ)の教授、モスクの役職者、そしてカーディー(裁判官)ら実際の法運用に携わる者たち、さらには在野の学者たちである。彼らは時の政治権力にイデオロギー的支えを提供する場合も、また逆にイスラム法を盾に支配の恣意(しい)を抑制する場合もある。
[鎌田 繁]
イスラーム社会の学者層。「知識(イルム)を持つ人」を意味する語の複数形。知識とは,伝承,法学,神学などのイスラーム諸学をさす。ウラマーの一致した意見をイジュマーといい,法学や神学上の重大問題決定の基礎の一つとされてきた。古来,イスラーム国家では,ウラマーの協力を得ることに腐心したが,政府の御用学者より,在野の立場を守る者に民衆の人気は集まりがちであった。近代化運動が起こると,国家とウラマーとが衝突した実例が多い。ウラマーがイスラームの伝統の擁護者としての保守的立場を取りがちであったためである。
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…また,イスタンブールの治安維持はこの軍団の主要な任務の一つであった。
[モスクとメドレセ]
帝国の司法,および行政の一部をつかさどるウラマーは,メフメト2世モスクに付属するメドレセを頂点として整然と配置された教育機関を通じて養成され,ハナフィー派法学理論を中心として神学,哲学,数学,天文学などの伝統的イスラムの諸学問を学んだ。彼らは帝国各地のマドラサの教授,ムフティーやカーディー(裁判官)として赴任する機会にめぐまれ,それを通じて官僚化された面が強い。…
…コーランにはこのように記されている。 後のウラマー(学者,宗教指導者)の整理するところによれば,コーランに記されたイスラムの教義はイーマーンīmān(信仰),イバーダート‘ibādāt,ムアーマラートmu‘āmalātからなる。イーマーンは,後にアッラー,天使,啓典,預言者,来世(アーヒラākhira),予定の六信として定型化された信仰内容で,そのうちとくに重要なものがアッラーと,最後の預言者としてのムハンマドであることは言うまでもない。…
…これに対してアーンマは,キリスト教徒やユダヤ教徒を含む市場の商人や職人,あるいは荷かつぎ人夫,召使い,馬丁のような賃金労働者など多様な人々からなっていたが,さらにその下層には夜警人やならず者,浮浪者,乞食,死体処理人などの貧窮者が存在した。そして9世紀以後になると,このハーッサとアーンマの中間に,法学者,裁判官(カーディー),礼拝の指導者,マドラサの教師,コーラン読み,スーフィー教団の聖者などからなるウラマー層が徐々に形成されてゆく。10世紀以後の軍事支配者は民衆と直接かかわりのない異民族出身者が多かったから,その政権を維持するためには,ムスリムの日常生活と深いかかわりをもつウラマーの協力が必要であった。…
※「ウラマー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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