ニュールック戦略(読み)ニュールックせんりゃく(その他表記)New Look Strategy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニュールック戦略」の意味・わかりやすい解説

ニュールック戦略
ニュールックせんりゃく
New Look Strategy

アメリカの核戦略。 1953年 D.アイゼンハワー政権のもとで,いわゆる「大量報復戦略」が,J.ダレス国務長官によって明らかにされた。この戦略に適応するための軍備の整備方針を,当時の流行語をとって,ニュールック戦略と名づけた。この戦略は,通常兵力の削減による国防費の節減政策と相まって,ソ連による全面的,あるいは大規模な局地戦略に対し戦略爆撃機を中心とする大量核報復能力をもって抑止しようとするものである。これに伴い,大量破壊力をもつ熱核兵器 (水素爆弾) と優勢なジェット戦略爆撃機による戦略核戦力および戦術核兵器 (小型原子爆弾) ,戦闘爆撃機 (軽爆) ,短距離ミサイルによる戦術核戦力,さらに原子砲や砲兵ロケットの核弾頭による原子火力に依存して,兵員数を節減したペントミック師団など,いわゆる軍備の流線化が行われた。しかしまもなく,米ソ間に相互抑止関係が成立するようになり,ネオニュールック戦略 (→対都市戦略 ) ,あるいは通常兵力を重視する柔軟反応戦略が 1950年代末から 60年代にかけて出現するにいたった。

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世界大百科事典(旧版)内のニュールック戦略の言及

【核戦略】より

…ソ連は1949年8月29日,原爆実験に成功,アメリカはこれに対抗して水爆(熱核兵器)と小型原爆(戦術原爆)の開発に着手,米ソ両国は核爆弾開発競争に入った。こうしたなかで,最初に登場した核戦略は,アイゼンハワー政権の〈ニュールック戦略new look strategy〉であった。この戦略では,戦略空軍を重視,侵略に対しては即座にかつ大量の核報復を行うというものだった。…

【冷戦】より

…アメリカはJ.F.ダレスを国務長官とし,前政権の軍事費の膨張を批判し,外交政策の力点を変化させていった。一つは〈ニュー・ルック戦略〉であり,核兵器を〈大量報復力〉と規定し,その威嚇力を前提としてアメリカの優位の上にソ連の進出を抑えようとするものであった。第2に,〈巻返し政策roll‐back policy〉といわれたようにソ連の支配下にある地域の〈解放〉を主張し,またアジアでの冷戦をも重視した。…

※「ニュールック戦略」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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