日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハイルディーン」の意味・わかりやすい解説
ハイルディーン
はいるでぃーん
Khayr al-Dīn al-Tūnisī
(1820―1890)
チュニジアの近代化政策を推進した改革派官僚。ナポレオン戦争の終結とともに中東、北アフリカに対するヨーロッパ列強の圧力が高まったが、当時フサイン朝の支配下にあったチュニジアでは、オスマン帝国の例に倣って、近代的改革を実施することによって外圧に対抗しようとした。その内容は明治期の日本で実施された「富国強兵」「殖産興業」「文明開化」の政策と同様のものであった。その代表的な推進者がハイルディーンである。軍人から官僚に登用され、しだいに出世してやがて宰相になり、さまざまな近代化政策を実施したが、守旧派との政争に敗れて下野した。なお北アフリカ史において高名なハイルディーンというと、ほかに海賊バルバロッサ(赤ひげ)といわれたオスマン帝国海軍の提督がいる。
[宮治一雄]