ハママシケ鶴岡藩陣屋跡(読み)はまましけつるおかはんじんやあと

日本歴史地名大系 「ハママシケ鶴岡藩陣屋跡」の解説

ハママシケ鶴岡藩陣屋跡
はまましけつるおかはんじんやあと

[現在地名]浜益郡浜益村大字柏木村・大字川下村

近世末期に出羽鶴岡藩(通称荘内藩)が蝦夷地の経営を行った際の本拠地。浜益川河口近くの北岸に位置し、荘内藩ハママシケ陣屋跡の名称で国の史跡に指定されている。一八五九年(安政六年)一一月、幕府は蝦夷地を分割して東北六藩に給与地と警衛地を与え、北方警備を強化した。鶴岡藩には「西蝦夷地ハマヽシケ領、並ルヽモツペ領よりテシホ領迄、テウレ、ヤンケシリ島」を分与地とし、「ヲタスツ領よりアツタ領迄」を警衛地とした(書付并伺書類)。同藩は経営の中心地としてハママシケに陣屋を建設した。脇陣屋はトママイ(現苫前町)に置かれている。場所は浜益川北岸の海岸より約五、六町奥の山裾南斜面で、五町歩ほどの広さの土地である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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