現代外国人名録2016 「ハンスオフト」の解説
ハンス オフト
Hans Ooft
- 職業・肩書
- サッカー指導者 元サッカー日本代表監督
- 国籍
- オランダ
- 生年月日
- 1947年6月27日
- 出生地
- ロッテルダム
- 本名
- オフト,マリウス・ヨハン〈Ooft,Marius Johan〉
- 経歴
- 17歳でプロサッカー選手に。1965〜76年オランダの名門フェイエノールトなどの4クラブでFWとして活躍する傍ら、コーチの資格を取得。その後’76〜84年オランダユース代表チームのコーチなどを務め、フリット、ファンバステンら世界のトップスターを育てた。この間、’82年、’83年ヤマハ発動機(現・ジュビロ磐田)の短期コーチに招かれ来日、天皇杯優勝に導く。’84年マツダ(現・サンフレッチェ広島)のコーチとなり、’87年監督に就任、日本リーグ一部昇格、天皇杯準優勝の実績を残す。’89〜92年3月FCユトレヒト(オランダプロリーグ1部)の強化最高責任者を務めたあと、’92年4月W杯出場を目指す日本代表チーム初の外国人監督に就任。同年11月第10回アジア杯初優勝。’93年10月W杯アジア最終予選対イラク戦に惜敗し(ドーハの悲劇)、11月予選を突破できなかった責任を取り代表監督を辞任した。’94〜96年Jリーグに昇格したジュビロ磐田の監督、’98年京都パープルサンガ(現・京都サンガ)監督(同年6月まで)を経て、2002年浦和レッズ監督に就任。2003年ナビスコ杯で優勝、チームに初のタイトルをもたらした。2008年9月前監督の解任を受け、12年ぶりに磐田監督に復帰、シーズン終了まで務めた。2013年日本サッカー殿堂入りを果たす。著書にサッカーコーチ入門書「COATING ハンス・オフトのサッカー学」がある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報