ビシュベースバラッヤ(読み)びしゅべーすばらっや(英語表記)Mōkshagudam Viśvēśvarayya

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビシュベースバラッヤ」の意味・わかりやすい解説

ビシュベースバラッヤ
びしゅべーすばらっや
Mōkshagudam Viśvēśvarayya
(1861―1962)

インドの技術者、行政官、政治家。マイソール藩王国の農村の中流ブラーミン家庭に生まれる。バンガロール(現、ベンガルール)のセントラル・カレッジを経てプネ市のプネ科学カレッジで工学を学ぶ。ボンベイ州政府公共事業局に勤務(1884~1908)。ナーシクをはじめサッカル、スーラト、プネ、カラチアーメダバードなどインド西部各地で上下水道、灌漑(かんがい)工事に携わる。退職後ハイデラバードの藩王に招かれて洪水防止工事計画を策定、マイソール藩王国の工事局長に就任(1909~1912)、さらに首相となり(1912~1918)クリシュナラージャ・サーガラ貯水池建設をはじめ、工業の育成、教育の振興、立法・行政機構の民主化に努める。全政党会議(1922)、南インド藩王国人民会議(1929)などを主宰。六度にわたり諸外国を歴訪、日本にも来訪した(1898)。経済計画に基づくインドの経済開発を主張、インド経済計画の父と称される。廉潔にして簡素な生活に徹す。

[古賀正則]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例