出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
インド北西部、グジャラート州中部にある旧州都で綿工業都市。アーマダバードともいう。人口351万5361(2001)。カンベイ湾に注ぐ同州最大のサーバルマティ川の河口から約75キロメートル上流、グジャラート平原の中央に位置する。インド綿工業発達史上ムンバイ(ボンベイ)と並ぶ創業地で、19世紀後半にはインドのマンチェスターとよばれるまでに発達した。人口は全国第6位で、製造業に従事する者の比率が高い。
1411年イスラム教徒のアーマド・シャー1世が城郭を築き、1573年にムガル帝国のアクバル帝に征服されるまで、グジャラート国の首都として栄えた。1753年、地方豪族のガーイクワール家はマラータ勢力と手を結んで反乱を起こし、ムガル帝国の支配を断ち切った。1818年にはマラータ勢力も衰退し、かわってイギリスの支配下に入った。1861年に地元民族資本による綿紡績工場が創業され、1864年ムンバイとの間に鉄道が開通すると、綿紡績工場の集積が急速に進み、1914年には49工場で約3万3000人の従業者を抱えるまでになった。こうした民族資本の興隆を背景に、1915年南アフリカから帰国したマハトマ・ガンディーがこの地に反英独立運動の本拠を定めた。
市内にはイスラム寺院や歴代王侯の墓所も多い。1432年の建立とされるジャマ・マスジッドは、東洋でもっとも華やかなモスクの一つといわれる。また、ガンディーにより創設されたアーメダバード大学も特異な存在である。ポルとよばれる一定の囲いをもつ珍しい集団住宅地があるが、これは工業労働者の急激な流入の結果、形成されたものである。
[中山修一]
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