ピクテ・ド・ロシュモン(その他表記)Pictet de Rochemont, Charles

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピクテ・ド・ロシュモン」の意味・わかりやすい解説

ピクテ・ド・ロシュモン
Pictet de Rochemont, Charles

[生]1755
[没]1824.12.28. ランシー
スイスジュネーブ外交官。スイスはナポレオン1世敗北後のウィーン会議で不利な立場に立たされたが,パリ会議 (1815) ではピクテが活躍して,スイスの永世中立領土保全とが承認された。ここにスイスの永世中立がオーストリアをはじめとする5列強によって国際法上承認されることになった。また,ピクテはジュネーブ湖右岸の一部地域をフランスから割譲させることにも成功した。ジュネーブは 1815年8月にスイス誓約同盟 (→八州同盟 ) に参加を認められていたが,この割譲によって他国領土を通らずにスイスの他州と直接に連絡できるようになった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

企業の退職を希望する従業員本人に代わって退職に必要な手続きを代行するサービス。依頼者と会社の間に入ることで円滑な退職をサポートするとともに、会社への連絡などを代わりに行うことで依頼者の心理的負担を軽減...

退職代行の用語解説を読む