ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピクテ・ド・ロシュモン」の意味・わかりやすい解説
ピクテ・ド・ロシュモン
Pictet de Rochemont, Charles
[没]1824.12.28. ランシー
スイス,ジュネーブの外交官。スイスはナポレオン1世敗北後のウィーン会議で不利な立場に立たされたが,パリ会議 (1815) ではピクテが活躍して,スイスの永世中立と領土保全とが承認された。ここにスイスの永世中立がオーストリアをはじめとする5列強によって国際法上承認されることになった。また,ピクテはジュネーブ湖右岸の一部地域をフランスから割譲させることにも成功した。ジュネーブは 1815年8月にスイス誓約同盟 (→八州同盟 ) に参加を認められていたが,この割譲によって他国領土を通らずにスイスの他州と直接に連絡できるようになった。
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