日本大百科全書(ニッポニカ) 「八州同盟」の意味・わかりやすい解説
八州同盟
はっしゅうどうめい
Eidgenossenschaft der acht alten Orte ドイツ語
14世紀中葉、スイスの八州がハプスブルク家との抗争のなかで結成した同盟。中世以来スイスはヨーロッパの交通要地であったため、ツェーリンガー家、サボア(サボイア)家、ハプスブルク家などに代表される領域支配者が相次いで興亡した。一方、スイス住民は開墾などにより所有地を得て自由権を所有したが、この自由農民たちは、いくつかの都市とともに、これら支配者との間に帝国自由権獲得闘争を展開した。このうち、ウリとシュウィーツは、神聖ローマ皇帝からそれぞれ13世紀前半に帝国自由権を承認され、帝国直属化していた。その後、彼らは、ハプスブルク家がこの地に中央集権的支配権樹立をもくろみ、かつ当家から皇帝ルードルフ1世が選出されるに及んで、ウンターワルデンとともに1291年三州同盟(原初三州または森林三州ともいう)を結成した。ついで1315年モルガルテンの戦いでハプスブルク家に勝利を収め、同盟を更新した。そして、1332年最初の都市ルツェルン、51年チューリヒ、52年グラールスおよびツークが、そして53年ベルンが加盟し、ここに自由農民共同体と自由都市との連盟体としての八州同盟が成立するに至った。
[佐藤るみ子]
『森田安一著『スイス――歴史から現代へ』(1980・刀水書房)』