フランツ・ヨーゼフ(読み)フランツヨーゼフ

百科事典マイペディア 「フランツ・ヨーゼフ」の意味・わかりやすい解説

フランツ・ヨーゼフ[1世]【フランツヨーゼフ】

オーストリア皇帝(在位1848年―1916年)。普墺戦争に敗れた後,1867年オーストリア・ハンガリー二重帝国を編成した。ドイツとは友好関係を保ったが,ベルリン会議以後バルカンをめぐってロシア対立
→関連項目ハプスブルク[家]フランツ・ヨシフ[諸島]マクシミリアン

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関連語 諸島

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランツ・ヨーゼフ」の意味・わかりやすい解説

フランツ・ヨーゼフ(1世)
ふらんつよーぜふ
Franz Joseph Ⅰ
(1830―1916)

オーストリア皇帝(在位1848~1916)。ドイツの三月革命期に即位し、1849年以後イタリアやハンガリーの独立運動を鎮圧し、内政面では皇帝の大権を復活するなど絶対主義的再編成を強行した。しかし59年のイタリア統一戦争ではロンバルディアを、66年のプロイセンとの戦いではドイツにおける主導権を失い、67年マジャール人との妥協のもとにオーストリア・ハンガリー帝国が成立するとハンガリー国王に即位した。以来ビスマルク外交のもとで73年三帝同盟、82年三国同盟を結んで終始ドイツ帝国と協調し、汎(はん)ゲルマン主義政策を追求、このため国内外のスラブ民族主義との対立を深め、とくに1908年のボスニア・ヘルツェゴビナ併合によりセルビアとの関係が悪化し、サライエボ事件を誘発した。この事件で甥(おい)の皇太子フランツ・フェルディナントを失い、第一次世界大戦中失意のうちに死去した。

末川 清]

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世界大百科事典(旧版)内のフランツ・ヨーゼフの言及

【ゲルラホフカ[山]】より

…国立公園の一部をなす。オーストリア・ハンガリー二重帝国時代は,フランツ・ヨーゼフ峰,両大戦間期は軍団峰Štít legionářů,第2次大戦後は一時期スターリン峰ともよばれた。【稲野 強】。…

※「フランツ・ヨーゼフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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