現代外国人名録2016 「フレデリクデクラーク」の解説
フレデリク デクラーク
Frederik Willem De Klerk
- 職業・肩書
- 政治家 元南アフリカ大統領,元南アフリカ国民党(NP)党首
- 国籍
- 南アフリカ
- 生年月日
- 1936年3月18日
- 出生地
- ヨハネスブルク
- 学歴
- 南アフリカ神学大学法学部(ポッチェフストルーム大学)〔1958年〕卒
- 受賞
- ノーベル平和賞〔1993年〕,ユネスコ平和賞(第1回)〔1992年〕,フィラデルフィア自由賞〔1993年〕
- 経歴
- 曽祖父、父とも南アフリカ上院議員で、白人政界では“サラブレッド”と評される。1961年から弁護士業の傍ら熱心な党活動を続け、’72年35歳の若さで国会議員に。以後郵政・通信相、鉱山相、内相などの閣僚を歴任。’82年の強硬保守派脱党騒ぎを機に国民党トランスバール州支部長の座に就き地歩を固め、’85年国民教育相兼白人閣僚評議会議長、’89年2月国民党(NP)党首に。群を抜く交渉能力と統率力から“したたかな寝業師”と言われる。’89年8月ボタ大統領の辞任を受け大統領代行、9月大統領に就任。以来、民主化路線の実行に邁進し、黒人解放運動指導者マンデラの釈放、解放組織33団体の合法化、’86年来の全土非常事態宣言の解除、アパルトヘイト政策の撤廃などの新政策を次々に実行、世界各国の対南アメリカ経済制裁解除を引き出した。’92年3月信任投票で大勝。また、核廃絶にも積極的に取り組み、’91年核不拡散条約(NPT)に加盟。’93年3月議会演説で原爆製造の事実と世界初の核全廃を発表した。同年12月マンデラANC議長とともにノーベル平和賞を共同受賞。’94年5月制憲議会選挙でNPは第2党に後退、マンデラ政権の下で第2副大統領となるが、’96年6月辞任。’97年8月NP党首も辞任し、政界から引退。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報