日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラザビル会議」の意味・わかりやすい解説
ブラザビル会議
ぶらざびるかいぎ
Brazzaville Conference
1944年に開かれたアフリカにおけるフランスの植民地政策に関する会議。当時の自由フランス政府の代表であったドゴール将軍が主宰して、フランス領赤道アフリカ(現コンゴ)の首都ブラザビルで、エブーエ(チャド総督)、ウフェボワニ(コートジボワール大統領)など、フランス領アフリカ植民地の総督と諮問議会代表を招集し、第二次世界大戦後のフランスの植民地政策の新方向を検討。本国議会への議員選出、地方議会の設置、原住民の雇用促進、教育公衆衛生の普及、強制労働の廃止、工業化推進などの原則を定めたが、イギリスに倣って自治や独立を推進するというよりも、旧来の同化政策の原則を確認するものであった。会議の成果から1946年のフランス連合が生まれたが、事態の展開は急速であり、1958年の第五共和政の誕生とともにフランス共同体構想に引き継がれ、さらには1960年のアフリカ諸国独立という経過をたどった。
[宮治一雄]