改訂新版 世界大百科事典 「ブリュノ」の意味・わかりやすい解説
ブリュノ
Ferdinand Brunot
生没年:1860-1938
フランスの文法学者。ロレーヌ地方のサン・ディエ市に生まれ,エコール・ノルマルの生徒としてガストン・パリス,A.ダルメステテール,プティ・ド・ジュルビルらの指導を高等実習学院で受けた。22歳で高等教員資格試験に合格,リヨン大学講師となりフランス語学者レオン・クレダ教授の知遇を受けた。1891年古典的名著となった博士論文《マレルブのドクトリン》を提出,17世紀の古典フランス語成立の契機を明らかにし,プティ・ド・ジュルビルの後任としてパリ大学教授に任命された。1905年から畢生の大著述となる《起源より1900年にいたるフランス語の歴史》に取りかかり,18世紀のみはアレクシス・フランソアに任せたが,全巻を独力で書くべく1815年までを扱う第10巻第1部の校正を終えたところで没した。1922年に刊行した大冊《思考と言語》はエコール・ノルマル・シュペリウール(女子高等師範)での連年の講義をまとめたもので,従来の伝統的品詞分類に代わって思考のカテゴリーでフランス語をとらえなおすことを試み,文法教育に大きな影響を与えた。1919年にパリ大学文学部長,のちパリ大学総長となり,音声学研究所を付設したりして言語学の発展に寄与した。
執筆者:松原 秀一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報