マレルブ(読み)まれるぶ(英語表記)François de Malherbe

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マレルブ」の意味・わかりやすい解説

マレルブ
まれるぶ
François de Malherbe
(1555―1628)

フランスの詩人カーンに生まれる。若いころのイタリア趣味によるバロック的な『聖ペテロの涙』(1587)は成功せず、40歳過ぎから端正な詩が注目され、アンリ4世に嫁ぐマリ・ド・メディシスに捧(ささ)げる詩が認められ、50歳でアンリ4世の宮廷に入る。こうしてルイ13世時代をも通じて宮廷詩人として御用詩を中心に詩作。当代最良の詩人の1人とたたえられる。主要作品は『デュ・ペリエを慰めるスタンス』Consolation à Dupérier(1559)。だが、純粋なフランス語と明晰(めいせき)な詩想を追求する彼の作品は想像力に欠け、魅力に乏しく、若い詩人たちへの指導力と、言語と詩に対する理論のほうが重要。体系的な詩論は残さなかったが、デポルト詩集余白に書いた『デポルト註釈(ちゅうしゃく)』は16世紀の文学的ユマニスムとプレイアード詩派の伝統と決別し、フランス語の純化のため新造語、古語趣味、あいまいな用語を排し、理性に基づき万人に理解されることばと厳密な作詩法で表現せよと主張。かくて「ついにマレルブきたれり」とボアローにいわしめ、古典主義先駆者と崇(あが)められ絶対の権威をもち、その教えを古典劇アカデミー・フランセーズに実らせた。

高田 勇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マレルブ」の意味・わかりやすい解説

マレルブ
Malherbe, François de

[生]1555. カン
[没]1628.10.6. パリ
フランスの詩人。 50歳までプロバンスで過し,1605年パリに出てアンリ4世とルイ 13世に仕え,詩壇に君臨した。オードソネットなど約 125編の詩を残し,おもなものにオード『令嬢の死をいたんでデュ・ペリエ氏を慰める詩』 Consolation à M. du Périer sur la mort de sa fille (1600) がある。詩人としてよりもフランス語や詩法の改革者としての功績が大きく,乱雑だった 16世紀のフランス語の純化,整理をはかり,ギリシア・ラテン模倣を批判,明晰で簡潔な表現,厳格な詩法を主張し,古典主義への道を用意した。その文学理論は,デポルトの作品集に書込まれた注解によってうかがうことができる。

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