フランスの詩人。ノルマンディーのカン出身。詩人として名を成し始め,宗教戦争中は南フランスのエクスのアングレーム公に仕えた。1605年同郷のデュ・ペロン枢機卿らに推挙され,アンリ4世の宮廷詩人となる。当時,北フランス出身の優れた既成の詩人たちは,流行していた奇矯な隠喩を好んだ詩人たちの傾向を批判していたが,マレルブはそれ以上に厳しく,既成の詩人たち,その代表たるデポルトをも強く批判するにいたった。彼は,穏健で上品な語法を貴んだデポルトらも,不正確であいまいな語法,修辞が多いとし,文学におけるフランス語を耳で聞いてもすぐわかるものとしようとした。文法的な整合を要求し,類義語を厳密に区別し,古語,新語,専門語を排し,上品な語を中心に据えた。詩法の面でも句の切れ目を厳格に設定し,豊かで美しい韻律を作り上げることに努力した。詩作品ではアンリ4世の頌などで音の美しい第一等の詩人として評価され,また散文でもセネカの翻訳などを通じて散文の進歩に大きく貢献した。マレルブの厳しいフランス語法改革は,詩の面では天才的飛躍をくじく面があったが,全体としてはフランス語を近代的な思考に耐えうるものとした。明快,的確な近代フランス語の確立に重要な礎石を置き,古典主義文学成立へも道を開いた。
執筆者:福井 芳男
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フランスの詩人。カーンに生まれる。若いころのイタリア趣味によるバロック的な『聖ペテロの涙』(1587)は成功せず、40歳過ぎから端正な詩が注目され、アンリ4世に嫁ぐマリ・ド・メディシスに捧(ささ)げる詩が認められ、50歳でアンリ4世の宮廷に入る。こうしてルイ13世時代をも通じて宮廷詩人として御用詩を中心に詩作。当代最良の詩人の1人とたたえられる。主要作品は『デュ・ペリエを慰めるスタンス』Consolation à Dupérier(1559)。だが、純粋なフランス語と明晰(めいせき)な詩想を追求する彼の作品は想像力に欠け、魅力に乏しく、若い詩人たちへの指導力と、言語と詩に対する理論のほうが重要。体系的な詩論は残さなかったが、デポルトの詩集の余白に書いた『デポルト註釈(ちゅうしゃく)』は16世紀の文学的ユマニスムとプレイアード詩派の伝統と決別し、フランス語の純化のため新造語、古語趣味、あいまいな用語を排し、理性に基づき万人に理解されることばと厳密な作詩法で表現せよと主張。かくて「ついにマレルブきたれり」とボアローにいわしめ、古典主義の先駆者と崇(あが)められ絶対の権威をもち、その教えを古典劇とアカデミー・フランセーズに実らせた。
[高田 勇]
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… いちはやくルネサンスに入ったイタリアでは,すでに14世紀にダンテが《神曲》《新生》を,ペトラルカがソネット形式による甘美な抒情詩を書いていたが,16世紀までには他のヨーロッパ諸国にもその影響がひろがる。フランスではC.マロがペトラルカを翻訳,この新しい抒情のもとにセーブらのリヨン派,ロンサールらのプレイヤード派が活動,豊麗なバロック詩がやがてマレルブによって厳密な詩法に整頓される。イギリスではエリザベス朝文化を代表するシェークスピアが数々の韻文劇を書いたほか,いわゆるシェークスピア風ソネットを定着させ,他方ではJ.ダンらの形而上派の詩人たちが出る。…
※「マレルブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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