フランソア(読み)ふらんそあ(英語表記)Samson François

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランソア」の意味・わかりやすい解説

フランソア(1世)
ふらんそあ
François Ⅰ
(1494―1547)

フランス王(在位1515~47)。王妃従兄(いとこ)で先王ルイ12世の娘クロード。1519年神聖ローマ皇帝位をスペイン王カルロス1世と争って敗れ、フランスはハプスブルク家によって包囲されるはめに陥った。イタリアの覇権を求め続け、皇帝軍と四次にわたる戦争を繰り広げた。25年パビーアの戦いで敗北し、マドリードで1年間の捕囚の身となった。文学、芸術を愛し、ユマニストの保護者でもあり、コレージュ・ド・フランスを設立し、イタリア・ルネサンスの導入に大きな役割を果たした。16年にはレオナルド・ダ・ビンチをイタリアから招いている。宗教の面では、初めは姉マルグリットの影響で福音(ふくいん)主義者たちには好意的であったが、カトリックミサ罵倒(ばとう)する檄文(げきぶん)事件(1534)を機にプロテスタント迫害に転じた。フランス語がラテン語にかわって公用語とされたのは、この王の治世期からである。

[志垣嘉夫]


フランソア(2世)
ふらんそあ
François Ⅱ
(1544―1560)

フランス王(在位1559~60)。父はアンリ2世、母はカトリーヌ・ド・メディシス。王妃はスコットランド王女メアリー・スチュアート王位を継承しても、実権を王妃の伯父たちギーズ公フランソアやロレーヌ公シャルルにゆだねたので、これにプロテスタントの指導者ナバール王アントアーヌや弟のコンデ親王が強く反発し、アンボアーズ城から王を奪回する陰謀にまで発展した。この事件は失敗に終わった(1560)が、王自身は新旧両派の信仰の対立がもたらすフランスの混迷になんらの役割も果たすことなく、同年病死した。子宝に恵まれなかったので、王位は王弟シャルル(9世)に移った。

[志垣嘉夫]


フランソア
ふらんそあ
Samson François
(1924―1970)

フランスのピアノ奏者。コルトーに認められてパリ音楽院に進み、マルグリット・ロンなどに師事。1943年ロン‐チボー・コンクールで大賞を受け、第二次世界大戦後国際的な演奏活動に入る。56年(昭和31)初来日。ショパンならびにフランス近代音楽を得意とし、詩的直感力に訴えた即興的な演奏スタイルから、コルトーの後継者と目された逸材であったが、大成する以前に没した。

[岩井宏之]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フランソア」の意味・わかりやすい解説

フランソア[サル]
François de Sales

[生]1567.8.21. サボアサル
[没]1622.12.28. リヨン
フランスの貴族出身のカトリック聖職者。聖人。教会博士。 1580~88年パリのクレルモン学院,その後パドバ大学で学び,91年法学博士。帰郷し法律家の道に入ったが,93年アヌシイ司祭。 94~98年シャフレで宣教師,99年ジュネーブ司教補佐,1602年同司教。この間カルバン派の勢力下にあったこれらの地方の改宗に努力し教会の改革を推進しつつみずから教区を回って人々にわかりやすい言葉で語りかけ,霊的指導者,説教者として成功を収めた。 10年シャンタルの女子訪問修道会創立を助けた。主著『信心生活の入門』 Introduction à la vie dévote (1609) ,『神愛論』 Traité de l'amour de Dieu (16) 。 1923年著作者の保護聖人とされた。祝日は1月 29日。

フランソア
François, André

[生]1915.11.9. ティミショアラ
[没]2005.4.11. フランス,パリ近郊グリジレプラートル
ルーマニア生まれのフランスの漫画家,グラフィック・デザイナー,イラストレーター。 1935年パリ美術学校に入学,さらにカッサンドルに学ぶ。 1940年イギリスに渡り,1945年帰国してから叙情的スタイルの漫画で注目される。国内よりも,『ホリデイ』『パンチ』『ニューヨーカー』などのイギリス,アメリカの雑誌に主として作品を発表。主要作品『わにの涙』『のんぶらり島』など。その他,絵本,ポスター,広告,挿絵の分野でも活躍した。

フランソア[メイロンヌ]
François de Meyronnes

[生]?
[没]1328頃
フランス,プロバンス地方出身のフランシスコ会士,スコラ哲学者。ドゥンス・スコツスの高弟。最高照悟にして鋭敏なる博士 doctor illuminatissimus et acutusと呼ばれた。師の形相論を継承し,存在を本質の一様態とした。ダンテに反対して教皇の世界支配を主張。『命題集注解』のなかで当時地動説をとった学者がいたことを伝えている。

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