翻訳|linguistics
人間の言語を研究する学問分野。最初日本では〈博言学〉と呼ばれた。言語学は,人間の言語であるならばどの言語でも研究対象とし,したがって,研究者自身の母語が対象となることもある。人間の言語の第一義的存在が音声言語であることから,言語学はおもに音声言語を対象とするし,また,すべきであるが,文字言語の研究も重要であり,特に過去の言語の研究については文字言語に依拠せざるをえないことが多い。また,一般に言語学と呼ばれている分野には,主として言語そのものを研究する分野(狭義の言語学)と,言語とその他の事象との関係を研究する分野がある。
言語そのものをおもに研究する分野は,そのアプローチのしかたからいって二つに大別しうる。まず第1に,ある一定の時期(多くの場合は現代)のある一つの言語に関してその構造などを研究するものがある。〈共時言語学〉〈構造言語学〉あるいは〈記述言語学〉などと呼ばれる。あらゆる人間社会は,人間自らが発する音声を用いて意思伝達,意思交換を行っている。そうした一回一回の行為には,その場限りの個別的なことがらも含まれてはいるが,そのような意思伝達・意思交換が可能なためには,その人間社会において音声による意思伝達のためのかなり固定的な社会習慣の総体としての言語が存在していなければならないはずであり,また,それにほぼ対応するものがその社会の各個人の脳裏に反映・蓄積されていてそれがいつでも用いられるようになっているはずである。そのような言語がどのような構造を有しているかを,各言語について解明し,それを通じて,人間の言語一般の姿を解明してゆくことは,言語学の最大の任務である。
言語は,それを保有する人間集団の幾世紀にもわたる社会生活・精神生活の所産であるといえるので,どの言語も言語としての独自の価値を有し,ある言語が別の言語よりすぐれているといったことはいえず,全世界的に話し手を有する英語のような言語と数千(あるいはそれ以下)の話し手人口しか有しない言語の間に言語として優劣の差があるわけでもない。したがって,いかなる言語であっても,その研究はその言語の解明に役立つのみならず,人間の言語がいかなるものであるかを解明する上で〈平等の資格で〉貢献する。また,いかなる言語(ただし,母語として話す人間集団のいる言語)もそれ自体として独立した体系であるので,その研究は他の言語に関する研究結果からの機械的類推によるのではなく,その言語自体の真の姿,構造をつかみ出すことを基本にしなければならない。しかし,どの言語も人間の言語である限り一定の共通性を有しているはずであり,したがって,個々の言語の研究が人間言語一般の本質解明に寄与するわけであり,また,他の言語の研究成果,とりわけ他の言語の研究で有効であることがわかった方法論が別の言語の研究においてもプラスになるわけである。
個別言語の構造の研究は,言語そのものの有する三つの側面に応じて,〈音韻論〉〈文法論〉〈意味論〉に分けてよい。
音韻論的研究は,その言語がどのような音をどのように用いてその音的側面を構成しているかを研究する。どの言語も,ある数(通常,十数個から数十個)の〈音素〉と呼ばれる音的最小単位を順番に並べて単語などの音形をつくっていることがわかっているので,音韻論的研究の第一歩は,その言語にどのような音素が存在するのかということである。この研究は,一見容易に思われるかも知れないが,実際はかなり困難な仕事である。すなわち,それぞれの言語は独自に音的側面を構成しているので,それぞれの言語が用いている音素の音的実質が異なり,母国語の音韻に慣れきっている我々にとっては,母国語でない言語がどういう音を音素として用いているかを適確に把握するのはたいへんである。そもそも,どのような音を発しているのかわからなかったり,ある音とある音が同じといってよいのかどうかわからなかったり,ある点で異なる二つの音が音素として別の音素であるといってよいかどうかわからないことがある。したがって,この面での研究が可能になるためには,研究者が,人間の発しうるあらゆる音の調音のしかたと音響的・聴覚的性質についての十分な知識(すなわち,〈音声学〉の知識)を身につけている必要があるし,また,どういう音を同一音素としてよいかという点での方法論を確立している必要がある。また,音素が単語などの音形をつくりあげる際には,通常〈音節〉と呼ばれる中間的なまとまりをつくり,その音節が一つないしはいくつか結びついて単語などの音形をつくりあげるということがわかっているので,そのような音節がその言語においてどのような性格と構造を有するかを研究しなければならない。また,ある意味で,単語(場合によっては,それより少し小さいか大きいもの)の上に〈かぶさって〉存在しているといってよいような〈アクセント〉や,文全体にかぶさって存在しているといえる〈イントネーション〉の研究も重要である。なお,後述のごとく,同一単語(あるいは,同一形態素)の一部が,そのあらわれる位置によって形をかえる(音韻交替,音形交替)ことがある。それがどういうものであるかを研究する分野を〈形態音韻論〉と呼ぶ。
→音韻論
発話の際の基準的単位としての〈文〉は,最終的には単語の列から成り立っているといえる。どのようにして単語から文ができあがるのか(逆にいえば,文がどういうふうに単語に分析されてゆくか)という全過程の中にある法則・規則の総体がその言語の〈文法〉であり,それを解明する分野が文法論である。
まず,単語から見ると,その言語において単語とそれより小さいもの(〈接辞〉など。なお,なんらかの意味を有する音形の最小のものを〈形態素〉と呼ぶ。形態素一つで単語ができている場合もあれば,二つ以上でできている場合もある)がどのように区別されるかという問題がある。基本的には,ある程度以上に独立的であるかどうかで区別されているはずである。なお,形態素から単語ができる過程をも文法に含めることが多いが,少なくとも,その構成部分(つまり,形態素)の間の結びつきが個別的に形成される単語以下の場合のことがらと,結びつきが可能かどうかが規則的に決定されている単語以上の場合のことがらとは区別する必要があろう。次に,単語はその機能(どのような個所にあらわれうるか)のちがいに基づいて,いくつかの範疇(単語の範疇を〈品詞〉と呼ぶ)に分属しているが,どのような範疇が存在するかの研究がなされねばならない。また,一つの範疇の中にいくつかの下位範疇が認められる場合もよくある。ある範疇に属する単語は,その範疇特有の屈折(つまり,音形の一部がそのあらわれる位置によって交替する現象)を示すことがあるので,各範疇ごとの屈折の状態と性格を解明する必要がある。このように,単語に関係する研究分野は,従来,〈形態論〉と呼ばれてきた。
次に,単語それ自体に関することを除き,単語から文にいたる過程を研究する分野を従来から〈構文論〉〈統語論〉などと呼んでいる(本事典では〈シンタクス〉の項を参照されたい)。単語がいきなり文をつくりあげるというより,なんらかの中間的なもの(〈句〉とか〈節(せつ)〉とか呼ばれるものや,〈文節〉などと呼ばれるもの)を形成し,それが最終的に文を構成するといった状態にあるので,どのような中間的なものがあり,それがどのような範疇(〈名詞句〉とか〈述語〉とかは,このような範疇の存在を主張する術語である)に分属しているかといったことが,この分野の中心的研究対象になる。また,文自体にどのような範疇が存在するのか,あるいはそもそも文に複数の範疇が存在するのかといった問題の解明も,この分野に含まれる。一般的にいって,文法論の分野は,学説によって多様なとらえ方がなされており,それだけ複雑な対象をかかえていることの結果であろう。
→文法
言語の意味の面を研究するのが意味論である。その中心的課題は,単語の意味をどうとらえるかということにある。個々の単語は,固有名詞と若干の例外を除き,ただ一つの事象ではなく多くの事象をあらわすことができる。したがって,当然,同一の単語によってあらわされる事象に,ある面では互いに異なる性格を有するものが認められる。そのような事象を同一単語であらわすのであるから,その単語はそうした事象のすべてに含まれるある共通性に対応しているはずである。したがって,ある単語の意味を研究することは,その単語によってあらわされうる全事象にどのような共通性が含まれているかを解明することである。なお,ある単語がどのような共通性に対応するかは,基本的にはその単語独自のことがらであるから,よく似たことをあらわす二つの単語(同義語,類義語)があっても,どこか異なるはずだと考えるのが正当である。異なる言語の二つの単語についても同様である。一方,同じ音形であってもちがった単語であることがある(〈同音異義〉)(〈同音語〉の項を参照)。場合によっては,同音異義であるか同一単語であるかの判別が困難なことがある。しかし,同音異義であるものを同一単語とまちがえて意味を考えると,その音形では実際はあらわせないものまであらわせるかの如く主張する結果になるのが普通なので,このことを利用して同音異義か同一単語かを見分けることが多くの場合可能である。なお,単語の意味の研究の中でも,日本語の助詞とか助動詞とかといったもののように,独立度の低い単語(〈付属語〉)の意味の研究は,特に困難な場合が多い。また,個々の単語の意味だけでなく,ある屈折形(全体)の意味(たとえば,ドイツ語名詞の〈三格〉の意味とか,フランス語動詞の〈現在形〉の意味とか)の研究もきわめて重要であり,かつ,困難である場合が多い。また,それぞれの単語の意味を基礎として文全体の意味がどのように構成されているかといったことには,理論的問題がかなり残されており,ちがったアプローチの存するところである。
意味論は,ある単語を固定し,それによってどういうことがらがあらわされるかを見るわけであるが,逆に,あらわされる事象の側に一定の分野を設定し,その分野の事象をどのようにあらわしわけているかを研究することもできる。〈語彙論〉と呼ばれる研究方法は,こうしたやり方を基本にしたものといえる。なお,本質的にはこれまで述べたことと変わらないが,方言を対象とする分野を〈方言学〉と呼ぶことがある。
以上は,個々の言語の構造の研究について述べたものであるが,いくつかの言語を全体として,あるいは,それぞれの該当個所を比較研究する方法を〈対照研究〉と呼ぶ。特に外国語と母語との対照研究は,特に対照研究と銘打たなくても,外国語の事象を深く理解し,また母語自体の言語学的理解を深める上で有効である。また,人間の言語をある基準に沿って分類する方法を〈類型論〉(言語類型論)と呼ぶ。従来より,〈孤立語〉〈膠着語〉〈屈折語〉といった分類が有名であるが,これは一つの分類にすぎず,基準を別のものにかえれば別の分類が可能になる。
→意味論
言語は時とともに変化する。したがって,言語そのものを研究するもう一つの分野として,言語の変化を扱うものが存在可能であり,これを〈通時言語学〉〈史的言語学〉〈歴史言語学〉などと呼ぶ。言語は,音韻,文法,語彙および意味の全面にわたって変化してゆくので,それぞれの面の変化が研究の対象となる。ただし,ある言語についてその変化の研究が可能になるためには,その言語の二つの異なる時期の姿がわかっている必要がある。しかも,個々の変化も他の面との関連のもとに,かつ,他の面に影響を与えつつ起こると考えられるので,そうした二つの時期の姿ができるだけ厳密に分析・記述されている必要があり,したがって,上述の〈共時言語学〉は通時言語学の基礎であるといえる。さて,多くの言語の場合,過去の記録を有しないので,通時的研究はきわめて困難ということになるが,後述の比較方法を用いての他の言語(方言)との比較とか,現存の言語そのものの分析によって過去の姿が一定程度推定できる場合もある。なお,通時言語学の主要な関心は,これこれの変化が起こったという事実の確認だけではなく,言語がどのように変化してゆくものかという一般的法則・傾向の追求にも向けられている。通時言語学の一つの分野で,個々の単語などの語源を追及する分野を〈語源学〉(〈語源〉の項を参照)と呼ぶ。
同一の言語から分岐して成立した複数の言語(方言)の比較によって,もとの言語(〈祖語〉)の姿を推定(〈再建〉)したり,分岐の過程を推定したり,あるいは,同一の言語から分岐した可能性のある複数の言語を比較して,それらが同一の言語から生じたこと(系統的親近関係の存在)を証明しようとする分野を〈比較言語学〉と呼び,そこで用いられる方法を〈比較方法〉と呼ぶ。音韻変化がおおむね規則的であることが最もよく利用される。インド・ヨーロッパ語族などの場合は,資料が古くまでさかのぼれる一方,今後新たな資料の発見の可能性が少なく,現存資料の解釈に重点を置かざるをえない分野といえようが,アフリカやニューギニアなどの場合は,現存言語の新たな調査・分析が直ちに比較研究の向上に貢献するといえる状況にある。
言語(方言)が変化してゆく際,隣接する言語(方言)からの影響を受けて変化を起こす場合が多い。特に,語彙変化などにそういうことが多い。単語などの地域的伝播の姿を解明しようとする分野が〈言語地理学〉と呼ばれる。手法としては,たとえばあることがらをあらわす単語をある地域の多くの地点において調査し,地図(〈言語地図〉)にその分布状況をあらわし,その姿からその地域にどのような変化がどう起こったかを推定するものである。言語(方言)が互いの影響関係の下で変化してゆく姿を解明する上で大きく貢献した分野である。
以上述べたものは,主として言語そのものを研究する分野であるが,言語が人間および人間社会のその他の事象と無関係に存在するものではないことから,言語とその他の事象との関係を研究する分野が必要になる。言語と心理との関係,発話行動における心理などを考える〈言語心理学〉,幼児の言語習得過程を研究し,母語教育に役立てようとする〈幼児言語学〉(〈幼児語〉の項を参照)または〈発達言語学〉,言語障害を研究する〈言語障害学〉,母語や外国語の教育方法を研究する〈言語教育学〉(〈言語教育〉の項を参照),などがあり,また,〈言語社会学〉または〈社会言語学〉と呼ばれる分野は,言語の側の差異と人間集団の差異(階層のちがいとか出身地のちがいとか)の関係を多方面にわたって研究し,〈言語人類学〉は,言語の諸事象と文化人類学的諸事象の間の関係を調査・研究する。〈言語社会学〉には,言語政策などを扱う分野(〈言語工学〉とも呼ばれる)もはいり,また,複数の言語が話される国などの問題を扱う言語教育学的研究も含まれる。また,言語を数理的に扱う分野を〈数理言語学〉と呼ぶ。これらの諸分野は,それぞれが独自の分野であるとともに,互いに補い合うものでもある。
個人の(あるいは,ある集団の,またはある特定の条件下における)言語使用上の特徴を研究する分野を〈文体論〉(〈文体〉の項を参照)と呼ぶ。主として,特定の作家の文体を研究することが多いが,庶民の言語生活上の文体的なちがいも研究の対象となる。
日本語でも英語でも言語として研究するならば言語学に含まれるが,外国語を実用的目的のために習得すること自体は言語学とはいえない。ただし,ある言語を言語学的に研究した結果を利用することはその言語の習得にとってたいへん有利である。また,外国語の言語学的研究にとってその言語を習得することは必要ではないが,習得している方が研究にとってかなり有利である。
人類は古代から自らの有する言語に関心を抱いてきた。古代インドにおいてはサンスクリットの精密な記述ができていたし,ギリシアにおいては言語の哲学的議論が盛んであった。近代言語学の歴史は,サンスクリットが西欧に知られ,遠く離れた地に話される言語のヨーロッパ諸語に対する顕著な類似が注目され,比較言語学が発達した(19世紀)ことに始まる。この中で,言語の系統的親近関係の証明方法や祖語の再建方法などが進歩した。20世紀初めより,特にF.ソシュールの提唱した共時言語学と通時言語学の峻別という考え方の影響で,言語の共時的側面の研究が強まり,どの言語においても整然とした体系的構造が認められることが明らかになってきた。当初は音韻面の研究が顕著な進歩を示したが(たとえば,プラハ言語学派のそれ),次に文法の面が進歩し,また,意味の研究もさまざまな理論的ちがいを含みつつ進歩してきた。文法の面では,N.チョムスキーの提起した〈変形文法理論〉(〈生成文法〉の項を参照)が一時期全世界的に支持者を獲得したかに見えたが,理論上の分裂傾向が強まり,またチョムスキー自身の考え方もかなり変化し,かつての勢いは見られない。
日本においては,江戸時代より古語の研究の伝統があったが,明治以降の西洋言語学の輸入とその消化を経て,西洋諸語やアジア諸語の記述的研究,さらには新たな理論・方法論の開発・模索が続けられている。ただ,一方で外国の学説の無批判な受入れが見られる場合があり,また,発展途上国の言語や少数言語に対する研究がまだ社会的に重視されていないことと,そうした研究を遂行しにくい地理的条件が重なり,自らある言語をはじめから分析・記述し,そこから一般言語学的に通用する諸法則を引き出そうとする言語学者は残念ながら多数養成されているとはいえず,今後の課題となっている。
→記号 →言語 →文字
執筆者:湯川 恭敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人間言語を対象とする科学的研究。実用を目的とする語学とは異なり、言語そのものの解明を目的とする。よく誤解されるが、言語学は、古い時代の言語とか語源だけを扱うわけではなく、過去、現在をともに対象とする。直接に観察できる現代の言語を対象とするほうがむしろ研究上有利であり、言語の本質に迫りやすい。諸言語を広く見渡して研究する一般言語学と、個々の言語を研究する個別言語学とがあり、国語学も個別言語学の一つである。
[国広哲弥]
言語についての考察は、すでに紀元前5世紀のギリシア時代にみられる。そのころ、文法記述も行われたが、主流は古典主義的な文献学であった。また、語とそのさす事物との関係が自然的なものであるか、単に慣習によるものであるかという論争が長い間続けられたりした。前4世紀にインドのパーニニが書いた優れた『サンスクリット文法』は、その記述の網羅性・一貫性・簡潔さの点で、現代に至るまで類をみないといわれる。また、1660年にフランスで出された『ポール・ロアイヤル文法』は優れた普遍文法の試みであったが、その後の発展がみられなかった。現代になって、N・チョムスキーによって創始された生成文法は、言語の普遍性を求める点で「ポール・ロアイヤル文法」につながるものである。中世のラテン語優勢の時代を経て、ルネサンスを過ぎるころ、ヨーロッパ以外の地域の言語にも注意が向けられ始め、18世紀にインドの古語サンスクリットの存在が気づかれた。サンスクリットとギリシア語・ラテン語との類似性に驚いたヨーロッパの言語学者たちは、やがて19世紀に至って、印欧語比較言語学の確立に向かう。インドからヨーロッパにかけて分布する諸言語が、いまは消えて記録にも残されていないある言語を共通の源として、分岐してできたものではないかという洞察がその発端であった。19世紀の言語学は、ほとんど言語の歴史的研究である比較言語学に限られ、言語学すなわち歴史言語学という風潮があった。20世紀になって、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが出て、言語研究には、歴史的変化を扱う通時的方法と、ある一時期の状態を扱う共時的方法の別があることを説き、各時代の共時的研究があって初めて通時的研究が成り立つという意味で、共時的研究のほうが優先することを唱え、ここに近代的な意味での言語学が発展の途についた。ソシュールの唱える共時態のなかには、言語が構造体をなしているという重要な概念が含まれており、これが近代言語学の飛躍的な発達を可能にした。ソシュールの構造主義と並んで、アメリカにもL・ブルームフィールドを中心とする構造言語学が発達し、とくに音声構造の解明に長足の進歩がみられた。しかし、客観主義を強調しすぎたあまり、分析途中で、意味などの、内省によって得られる資料を用いることを拒否したために、統語法の分析は表面的な形の分布を明らかにするにとどまり、意味研究にはまったく手がつけられなかった。この行き詰まりを打開する形で、1957年にチョムスキーが生成文法を提唱した。これは、最初から文法的直観を考慮に入れるものであり、さらにブルームフィールド流の徹底的な帰納主義に対して、演繹(えんえき)主義にたつことによって、深い統語法分析を示した。チョムスキーの理論は次々に発展させられていったが、同時に世界中に強い影響を及ぼした。
言語研究には、大きく分けて、形式主義的なものと機能主義的なものとがある。形式主義は、言語そのものの仕組みを明らかにしようとするもので、ソシュール、ブルームフィールド、チョムスキーの研究はここに属する。これに対して、機能主義は、言語が具体的な場面・文脈でどのように用いられるかを明らかにすることを目ざす。言語現象の総体を明らかにするためには、この両方の立場の研究がそろわなければならない。機能主義的な研究は、以前から少しは行われてきたが、1970年ごろから社会言語学、語用論の形で急に活発に行われるようになった。
日本における言語学研究としては、早く18世紀後半に活躍した本居宣長(もとおりのりなが)のものがある。明治時代になってヨーロッパの言語学が導入され、近代言語学が始まる。それ以来、欧米の言語学の導入が続いているが、日本独自の言語学も一方では発展し始めていて、近年その成果をまとめたものとしては服部(はっとり)四郎他編の『日本の言語学』(全8巻)がある。
[国広哲弥]
言語は、一次的には音声、二次的には文字を用いて意味内容を伝達する仕組みである。この全過程をみると、まず話し手の頭のなかに、相手に伝えたい意味内容が思い浮かべられ、それが適当な言語表現にかえられ、次に発音器官を動かして音声として空中に出される。音声は振動波として聞き手の耳に達し、脳の言語中枢で分析され、元の言語表現が復原される。聞き手は同時に視覚を通じて得られる話し手の表情・身振り、周囲の状態、双方が共有していると考えられる宇宙についての知識を考慮に入れて、話し手が伝えようと意図したと考えられる意味内容を推定によって解釈する。以上のような伝達行動のそれぞれの過程について専門の研究分野をたてることができる。しかし、分野によって、研究の難易度は非常に異なり、最初の、頭に浮かんだ意味内容を言語表現に変換する(encode)過程は、心理言語学ないしは神経言語学の分野に属するが、非常にむずかしくて、現在のところ推測以上のことはわかっていない。
発音器官をどのように動かせば、どういう音声が出るかを扱う分野を調音音声学という。この分野は古くから研究され、よく発達している。音声が空中を伝わる部分のみを物理学的に分析する分野を音響音声学という。これは、近年、分析器械の発達に伴って急速に進展してきて、分析結果を利用して人工的に音声を合成することも実現している。耳が受けた空気振動をどのように分解し、言語音として復原するかという生理学的かつ心理学的過程の研究はほとんど未発達である。名づけて聴覚音声学という。以上の音声学の諸分野は、音声の差が言語のなかでどのように働くかという面は考慮に入れないで、音声そのものを研究対象とする。
これに対して、ある二つの音声が特定の言語のなかで同じ音声として扱われるか、異なった音声として扱われるかという、音声の機能の面を扱う分野を音韻論または音素論という。聞き手がとらえた言語表現から意味を解釈する(decode)過程は、統語論、意味論、語用論、社会言語学の各分野で扱われる。この4分野は、言語表現を行う場合にも関係しているので、以下では表現と解釈を超えて、人間が脳裏に蓄えている言語知識としてみてゆく。言語知識は、細かくいうと、言語能力と伝達能力に分かれる。言語能力はさらに語彙(ごい)能力と文法能力に分かれる。この二つの能力は密接に結び付いているので、完全に切り離して研究するのは得策ではない。語彙の側に重点を置いた分野を意味論といい、文法に重点を置いた分野を文法論あるいは統語論という。意味論はさらに語の意味論(語彙論)と文の意味論に分かれる。文の意味論は、見方によっては、文法論のほうに属させてよいものである。文法論は、品詞とか、主語・目的語などの文法カテゴリーに基づいて記述することもできるが、それは荒い骨組み部分に限られる。すこしきめ細かく記述しようとすると、具体的な語を考慮に入れなければならなくなる。このレベルが、文法論とも文の意味論ともみうる分野である。文法論はさらに細かく、語の文法論と文の文法論に分けることができる。語の文法論とは、個々の単語の内部構造と機能を明らかにするもので、語の活用を主題とした伝統的な国文法も、昔の西洋文法でも、文法といえば主として語の文法論であった。文の文法論は、単語どうしの結び付き方を研究する分野である。語の文法論は現在の形態論、語形成論にあたる。
伝達能力とは、具体的な言語使用の場面において、言語を社会的に適切に用いる能力のことである。この方面を研究する分野は社会言語学とよばれる。このなかでも、とくに伝達行動を大きく社会・文化のなかに位置づけて研究する分野を伝達の民族学the ethnography of communication、民族言語学ethnolinguisticsなどとよぶ。具体的な使用の場における意味、とくに文字どおりの意味と区別される真の意味がどのようにして解釈されるかを研究する分野を語用論pragmaticsとよぶ。
言語変化の研究のためには、大きく分けて三つの方法が考えられる。第一は書き残された言語の記録に基づく文献的研究である。言語変化を研究する分野を歴史言語学あるいは言語史とよぶが、この分野の主流をなしているのが文献的研究である。この方法では、当然のことながら文献以前の時代のことはわからず、文献時代の言語でも書き残されなかった部分については、なにもわからないという制約がある。この制約をすこしでも乗り越える方法として、比較言語学と言語地理学がある。比較言語学では、最古の文献の直前の状態を推定することを一つの目的としている。印欧語比較言語学などでは、異なる言語を比較するのであるが、同一言語の異なる方言を比較するのも、方法はまったく同じであり、同じ成果が得られる。日本語の本土方言と沖縄方言を比較して、ハ行子音が古くはpであったと推定できるのがその一例であり、この分野は比較方言学とよばれることがある。古い文献は、書き残す価値があると考えられる公の記録とか文芸作品などに限られ、ごく庶民的な語の記録は乏しい。この欠を補うのが言語地理学である。これは、現在の諸方言に残る語の地理的分布状態を比較し、各語の相対的な新旧関係を推定することを主目的とする。難点は、それらの語が、過去のいつの時代に発生したかという絶対的な時代がわからないことである。その欠を補うためには、文献とか古辞書の助けが必要となる。言語地理学は地域方言を対象としてはいるが、言語史の一分野である。
比較言語学、比較方言学、言語地理学は、同系統あるいは同一言語に属する言語変種を比較する分野であるが、系統の異同とは無関係に任意の言語を比較し、言語変化ではなくて各言語の特色を明らかにしようとする分野として、対照言語学と言語類型論がある。対照言語学は、言語のあらゆる面についてきめ細かく研究する。たとえば音声面では、母国語話者が普通意識しないような微細な差異まで問題とする。同時に、多くの言語に広くみられる性質、つまり言語普遍性としてどのようなものがあるかも明らかにしようとする。一方、言語類型論では、比較的に限られた部面、たとえば音声の類型、音素体系、単語の内部構造、文の基本的構造、格の体系などについて少数の類型を定め、各言語がどの類型に属するかを調べる。類型的な特色は、しばしば系統の異なる隣接言語に広がっていくことがみられるので、類型の地理的分布を研究対象とすることもあり、この分野は言語類型地理論などとよばれる。
以上に述べてきた分野は、ほとんど言語の質的研究に属するものであったが、これに対して量的な研究を行う分野として計量言語学がある。この方法は、語彙論、文体論、社会言語学などにおいて活用される。
応用的な分野として、語学教育法、機械翻訳、辞書編集、言語政策、言語矯正法などがある。
[国広哲弥]
日本の大学で、学部レベルで言語学科が置かれているのは、北海道大学、東北大学、埼玉大学、東京大学、国際基督(キリスト)教大学、上智(じょうち)大学、富山大学、金沢大学、京都大学、岡山大学、広島大学、九州大学、熊本大学などである。国の研究施設としては、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所と国立国語研究所がある。
[国広哲弥]
『服部四郎他編『日本の言語学』全8巻(1980・大修館書店)』▽『服部四郎著『言語学の方法』(1960・岩波書店)』▽『J・ライオンズ著、国広哲弥監訳『理論言語学』(1973・大修館書店)』▽『J. LyonsLanguage and Linguistics : An Introduction (1981, Cambridge University Press)』
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…構造言語学ないし構造主義言語学ということばは,ふつう1920年代から50年代にかけてヨーロッパとアメリカに生じた革新的な言語学の諸流派を総称するのに用いられるが,具体的にはプラハの音韻論学派(プラハ言語学派),コペンハーゲンの言理学グループ,アメリカの記述言語学の諸集団およびそのどれにも属しない諸学者の多種多様な主張や見解が含まれる。最大公約数的な理論上の特徴をあえてあげるならば,言語を記号学的体系と認め,あらゆる言語に普遍的な最小の記号単位の数や組合せの面での相違が言語体系の構造の差異を作ると考えて,各言語の精密かつ全面的な構造的記述の理論と実際を追求する立場といえよう。…
…経営学,行政学,教育学などは,それぞれ企業,官庁,教育組織という特定領域の問題を専攻する領域学で,学問分野としては経済学や政治学や社会学や心理学に還元される(経営経済学,経営社会学,経営心理学等々)。宗教学や言語学や芸術学などは,社会学,心理学に還元される部分(宗教社会学,宗教心理学等々)以外は,人文学に属するものと考えておきたい。最後に歴史学は,人文学と社会科学にまたがる広大な学問で,社会科学に属する部門は経済史,政治史,社会史,法制史などとして,それぞれの個別社会科学の歴史部門を構成する。…
…スイスの言語学者,言語哲学者。ジュネーブ大学教授(1891‐1913)。…
…アメリカの言語学者,思想家。言語学史上の一大革命ともいうべき〈生成文法理論〉の提唱者。…
…歴史言語学の一大分野。比較文法comparative grammarともいう。…
※「言語学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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