プラチャーティポック(その他表記)Prachathipok

改訂新版 世界大百科事典 「プラチャーティポック」の意味・わかりやすい解説

プラチャーティポック
Prachathipok
生没年:1893-1941

タイ国ラタナコーシン朝第7代国王。在位1925-35年。一般にラーマ7世Rama Ⅶと呼ばれる。1906年に13歳でイギリスに留学,主として軍事学を修める。15年帰国後陸軍に勤務。嗣子のない兄王の死による予期せぬ国王即位要請に当初拒否の態度を示した。権力欲は低く,即位とともに5人の王族からなる最高顧問会議を創設し,前王治世末期からの財政危機に集団指導体制をとった。折からの世界恐慌にもまき込まれ,公務員の削減減俸官庁の整理統合といった苦しい選択を強いられた。早くから議会制に興味を示し,31年の訪米後は真剣に立憲制への移行を考慮したが,最高顧問会議の反対にあい実現しなかった。行財政改革は結局中下層官吏の生活を圧迫し,不満を積もらせた。こうした不満と西欧留学経験者を中心とした議会制志向の中で人民党が生まれ,32年6月の立憲革命を引き起こした。王はこの革命に柔軟な態度で接し容認した。しかし,その後の人民党の一党一派的諸施策と王自身が理想とする立憲制とのギャップに不満を抱き,王事を放棄してイギリスに逃避,35年自ら退位を声明した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のプラチャーティポックの言及

【タイ】より

…とくに〈スアパー〉と称する国王直属の疑似軍隊をつくって軍人の反感を買い,放漫な財政によって国家財政の危機を招くなどの失政は,のちに大きな禍根を残した。1925年王位を継いだ7世王プラチャーティポック(在位1925‐35)は,財政再建に苦慮したが,世界大恐慌の発生という不幸が重なり,行政整理,官吏の減俸措置は伝統的な王族支配に対する批判を生み,ついに32年文武の若手官僚を中核とする人民党のクーデタ(立憲革命)が発生してタイの絶対王政は終りを告げた。
[立憲革命以後]
 1932年以降のタイ現代史は,伝統的政治・文化と断絶のないままに,社会・経済的変化に適合する民主政治のあり方を模索した試行錯誤の軌跡である。…

※「プラチャーティポック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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