1929年10月24日(のち「暗黒の木曜日」と呼ばれた),ニューヨーク株式市場の大暴落をきっかけとして始まり,資本主義世界全体を巻き込んで数年間続いた大恐慌。史上空前の規模の恐慌は,ヨーロッパ諸国の疲弊をはじめ第一次世界大戦後の構造的不安定要因を一挙に顕在化させた。欧米資本主義諸国の工業生産は急激に落ち込み,失業者はアメリカで1300万人(4人に1人)を超え,農産物価格も暴落し農作物が大量に廃棄される深刻な農業恐慌を随伴した。31年5月,オーストリアの代表的銀行クレディット‐アンシュタルトの破産によって始まった金融恐慌は,ドイツに波及した。これを救うために出されたフーヴァー・モラトリアムは,戦債と賠償金支払いの1年猶予(事実上の停止)を宣言したが,それは20年代の安定期を支えた金融上の支柱を取り外すことになった。経済を建て直すため各国は金本位制から離脱し(31年9月金本位制崩壊),通貨ごとのブロック化を進めていった。大恐慌は,景気・変動への国家介入が避けられないことを示す歴史的契機となり,アメリカではニューディール政策が展開され,スウェーデンでは福祉国家体制形成が始まった。ドイツでは失業の破局的増大(3人に1人)と財政危機に有効な施策が打ち出されず,ヒトラー政権への道が開かれる致命的な契機となった。
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広義には一国において発生した過剰生産恐慌が次々と他国に波及して世界的規模に広がった状態をいうが、狭義には1929年にアメリカに端を発して世界各国を襲った大恐慌をさす。
[編集部]
1929年(昭和4)にアメリカで始まり世界に波及した資本主義の歴史上,最大・最長の恐慌。日本・ドイツを除く主要国が恐慌前の水準に復帰するのに10年余を要した。恐慌の発端は,29年10月のニューヨーク株式取引所の株価暴落であった。アメリカでは株式恐慌後,産業恐慌・農業恐慌が激化し,南アメリカの農業恐慌はいっそう深刻化した。アメリカの恐慌はヨーロッパの信用不安を高め,オーストリアやドイツの金融恐慌をひきおこし,東欧諸国の危機を激化させた。世界市場は急激に縮小し,再建のための33年のロンドン国際経済会議が破綻したのち,各国はブロック化による景気回復の道を独自に追求することになり,戦争の時代が到来した。
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