日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペラギウス派」の意味・わかりやすい解説
ペラギウス派
ぺらぎうすは
Pelagianist
救いの問題について、神の恩寵(おんちょう)とは別に人間の固有な力を強調するペラギウスを指導者とする神学的立場をいう。イギリスあるいはアイルランド生まれのペラギウスは、384年ごろローマにきて410年まで聖書解説者として過ごし、その学殖と風貌(ふうぼう)の厳格さによって名声を博した。やがてローマが西ゴートのアラリック王の手に落ちる410年以後、ペラギウスは彼の協力者ケレスティウスとともに北アフリカに行く。その地で、彼の考えは、聖アウグスティヌスの強力で徹底的な批判を受け、いわゆるペラギウス論争が続くようになり、それはキリスト教の枠を超え、西欧の精神史上広範な射程をもつようになった。たとえば、それは、ルターの『奴隷意志論』とエラスムスの『自由意志論』をめぐる人間の自由論の本質的な部分にみられる。
[中沢宣夫]