百科事典マイペディア 「ポルタワの戦」の意味・わかりやすい解説
ポルタワの戦【ポルタワのたたかい】
→関連項目ナルバの戦|ポルタワ|マゼパ
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…国内は16の地域に分けられ,それぞれにコサックの連隊が駐留してその地を支配した。18世紀初め北方戦争の最中,ヘトマンのI.S.マゼパ(1644‐1709)はロシアからの独立をはかってスウェーデンのカール12世と連合してロシアと戦ったが,ピョートル大帝に敗北し(1709年,ポルタワの戦),ウクライナの自治は制限されていった。エカチェリナ2世はウクライナ・コサックに対する攻撃を強化し,1764年にはヘトマンという役職とその政府を廃止した。…
…正式名称=スウェーデン王国Konungariket Sverige面積=44万9964km2人口(1996)=885万人首都=ストックホルムStockholm(日本との時差=-8時間)主要言語=スウェーデン語通貨=スウェーデン・クローナSwedish Kronaスカンジナビア半島の東半を占め,北部の15%は北極圏に入る。東はボスニア湾,南東はバルト海,南西は北海に面し,北東はフィンランド,西はノルウェーと接する国。…
…1700‐21年に起きたスウェーデンとロシア,ポーランド,デンマークなどとの戦争。17世紀末のスウェーデンは,〈バルト海帝国〉と呼ばれる未曾有の政治的版図を形成し,バルト海貿易を独占する北東ヨーロッパの強国であった。これに対して領土の奪還をねらうロシア,デンマーク,ザクセンとの間に,1699年北方同盟が結ばれた。とくにロシアのピョートル1世は,バルト海への出口を求めて,1700年スウェーデンに宣戦したが,11月にはフィンランド湾の要塞ナルバで敗北を喫した(ナルバの会戦)。…
…ロシアに侵攻したスウェーデンのカール12世の軍隊は,1709年5月,ウクライナ・コサックの首長マゼパと手を結び,要衝ポルタワを包囲したが,7月ロシア皇帝ピョートル1世の軍隊の攻撃をうけ大敗を喫した。このポルタワの戦は,北方戦争の帰趨(きすう)を制した。現在は,ウクライナの大工業中心地の一つであり,機械製作,金属加工が盛んである。…
※「ポルタワの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加