元禄時代(読み)げんろくじだい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

江戸幕府5代将軍徳川綱吉世,特に元禄年間 (1688~1704) を中心とする時代。幕府は家康,秀忠,家光の3代の間にその基礎を確立し幕藩体制を整え,4代家綱を経て綱吉の代には最盛期を現出するにいたった。政治の基調も武断政治から文治主義へと転換していった。経済的には,積極的な新田開発,農業技術,器具の改良などに伴って農業生産力が増大し,商品流通の拡大につれて貨幣経済が発展し,大坂,京都をはじめとする商業都市が繁栄した。商人の勢力が増大し,諸大名の財政が徐々に町人に左右されるにいたると,貨幣の改鋳といった財政建直し策が打出された。その晩年になると柳沢吉保の登用による側用人の偏重,『生類憐みの令』の発布などの悪政を招いた。また町人層の台頭によって町人文化,とりわけ上方文化の開花をみるにいたった。 (→元禄文化 )  

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百科事典マイペディアの解説

狭義には元禄年間(1688年―1704年)をいうが,将軍徳川綱吉(つなよし)治政(在職1680年―1709年)をもいう。綱吉は将軍の権威を高め幕政を主導(この間大名・旗本の改易断行)して,固定化した制度・格式を改革,勘定吟味役を設け幕府直轄領支配を刷新。諸国国絵図・郷帳を作成(以降の相論裁許の典拠となる),風俗取締まり・忠孝道徳の制札など幕府権力の人民生活への徹底化を図った。この時期農業生産・商品経済の発展・貨幣流通の増大(元禄金銀改鋳)などによる経済成長期で,町人層が台頭し元禄文化が開花した。しかし側用人柳沢吉保(よしやす)の重用生類憐みの令による弊害が表面化,1703年の大地震,1707年の富士山噴火など天災もあいつぎ,幕府経済,世相などを次第に後退させた。

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世界大百科事典 第2版の解説

最も狭義に解すれば,1688年9月に貞享5年から元禄と改元し,1704年3月に元禄17年が宝永と改元するまでの元禄年間をいう。しかし元禄年間は徳川綱吉の将軍在職期(1680年(延宝8)5月から翌年改元の天和年中等をふくみ1709年正月まで)の主要期間なので,広義にこの間を元禄時代と呼ぶことも多く,文化史のうえではさらにやや前後に広げた時期をさすことがある。綱吉将軍期は,1684年8月大老堀田正俊が殺された事件をに,老臣に依拠した天和の善政期(天和の治)と,以後江戸中野犬小屋の設置等将軍の恣意による悪政と世相風俗退廃の時期とに分ける見方が古くからあり,この場合の元禄時代とは1684‐1709年となる。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

江戸中期,元禄年間(1688〜1704)を中心とした5代将軍徳川綱吉の治世(1680〜1709)の総称
前代までに幕府機構はととのい,藩体制も整備され,幕府支配体制の安定期を迎えていた。綱吉は将軍の権力を強化し,専制的政治を実施した。そのため側用人政治(柳沢吉保ら)も出現。諸藩についで幕府財政に危機が訪れたため,荻原重秀の進言で初めて貨幣が改鋳された(元禄金銀)。一方,産業の発展はめざましく,新田開発や肥料農具の改良で商品生産が増大し,貨幣経済が進展,都市生活も向上した。それとともに新興町人が進出し,京坂地方の町人を担い手として町人文化が開花した。文治政治のもとで朱子学をはじめ,儒学が武士教養として重んじられ,歴史や農学・暦学・和算などが発達し,国学の芽ばえもみられた。

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