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江戸幕府6代将軍。3代将軍家光の三男甲府藩主綱重の長子。幼名虎松。法号文昭院。綱重が正室を迎える前の子であったので,一時家老新見正信に養われ,新見左近と名のる。1670年(寛文10)甲府藩邸にもどり,76年(延宝4)元服して綱豊と名のり,78年甲府25万石を継ぐ。翌年近衛基熙の娘熙子と結婚。1704年(宝永1)5代将軍綱吉の養子となり,家宣と改名。09年6代将軍となる。側用人間部詮房(まなべあきふさ),侍講新井白石の補佐を受け,生類憐みの令の廃止をはじめ,前代の弊政の修正に努め,あつく儒教を信奉して人民へ仁愛の施政に心がけ,儀礼の整備,勘定所機構の改革,通貨改良など諸政刷新を意図したが,在職3年余りで死去した。その治世は失政もなく,比較的平穏な時期だったので,〈正徳の治〉と称せられる。
執筆者:辻 達也
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(深井雅海)
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江戸幕府第6代将軍。3代将軍家光(いえみつ)の三男甲府藩主綱重(つなしげ)の長子。初名綱豊(つなとよ)。綱重が正室を迎える前の子であったので、一時家老新見正信に養われ、1670年(寛文10)甲府藩邸に戻り、1678年(延宝6)甲府25万石を継ぐ。翌年近衛基煕(このえもとひろ)の娘煕子と結婚。1704年(宝永1)5代将軍綱吉の養子となり、家宣と改名。1709年6代将軍となる。側用人(そばようにん)間部詮房(まなべあきふさ)、侍講新井白石(あらいはくせき)の補佐を受け、生類憐(しょうるいあわれ)みの令の廃止をはじめ前代の悪政の修正に努め、儀礼の整備、勘定所(かんじょうしょ)機構改革、通貨改良など諸政刷新を意図したが、在職4年足らずで正徳(しょうとく)2年10月14日死去。法号文昭院。
[辻 達也]
1662.4.25~1712.10.14
江戸幕府6代将軍(在職1709.5.1~12.10.14)。甲斐国甲府藩主の徳川綱重の長男。母は側室長昌院(お保良の方)。幼名虎松。通称左近。諱ははじめ綱豊(つなとよ)。法号文昭院。1678年(延宝6)綱重の死後,甲府徳川家25万石を就封,翌年近衛基熙の女熙子と結婚。1704年(宝永元)叔父の将軍綱吉の養子となり家宣と改称,このとき家臣は幕臣に編入された。09年綱吉が没し,将軍職を継ぐ。前代の遺臣柳沢吉保や荻原重秀を退け,甲府時代からの侍講新井白石や側用人間部詮房(まなべあきふさ)を登用して文治政治を展開,閑院宮家の設立,朝鮮通信使の待遇改善,財政改革などを行い正徳の治と称されるが,治世わずか3年余で没した。
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…江戸中期,1709年(宝永6)から15年(正徳5)まで7年にわたる6代将軍徳川家宣,7代家継の治世の通称。家宣は幕府内外からの期待をうけて将軍となり,生類憐みの令の廃止を手始めに前代の弊政の改廃につとめ,側用人間部詮房(まなべあきふさ),侍講新井白石がこれを補佐した。…
…江戸幕府が武家の守るべき義務を定めた法令。天皇,公家に対する禁中並公家諸法度,寺家に対する諸宗本山本寺諸法度(寺院法度)と並んで,幕府による支配身分統制の基本法であった。1615年(元和1)大坂落城後,徳川家康は以心崇伝らに命じて法度草案を作らせ,検討ののち7月7日将軍秀忠のいた伏見城に諸大名を集め,崇伝に朗読させ公布した。漢文体で13ヵ条より成り,〈文武弓馬の道もっぱら相嗜むべき事〉をはじめとして,品行を正し,科人(とがにん)を隠さず,反逆・殺害人の追放,他国者の禁止,居城修理の申告を求め,私婚禁止,朝廷への参勤作法,衣服と乗輿(じようよ)の制,倹約,国主(こくしゆ)の人選について規定し,各条に注釈を付している。…
※「徳川家宣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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