精選版 日本国語大辞典 「東山天皇」の意味・読み・例文・類語
ひがしやま‐てんのう ‥テンワウ【東山天皇】
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(母利美和)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
皇室系譜に第113代とされる天皇(在位1687~1709)。霊元(れいげん)天皇の皇子、母は敬法門院(けいほうもんいん)松木宗子(内大臣宗条の娘)。名は朝仁(あさひと)。1687年(貞享4)元服とともに受禅、即位して大嘗(だいじょう)祭を挙行。この大嘗祭は将軍徳川綱吉(つなよし)によって130年ぶりに復活されたもので、整備された朝幕関係の姿を示している。1709年(宝永6)皇太子慶仁(やすひと)(中御門(なかみかど)天皇)に位を譲った。陵墓は京都市東山区今熊野泉山町の月輪(つきのわ)陵。
[奈倉哲三]
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
1675.9.3~1709.12.17
在位1687.3.21~1709.6.21
霊元天皇の第4皇子。名は朝仁(あさひと)。母は松木宗条(むねえだ)の女敬法門院宗子。幼称五宮。1682年(天和2)3月父霊元天皇の意思により儲君(もうけのきみ)に決定。同年12月親王宣下,翌年2月立太子。87年(貞享4)4月即位礼,11月大嘗会(だいじょうえ)が行われた。立太子礼および大嘗会はこのとき再興。天皇は上皇方の意向にしばしば悩まされたが,徐々に主導権を得,幕府との関係も安定した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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