マイン体制(読み)まいんたいせい

知恵蔵 「マイン体制」の解説

マイン体制

ベトナム共産党は1930年2月、ホー・チ・ミンを中心に結党され、その後インドシナ共産党(同年10月)、ベトナム労働党(51年2月)と改称され、76年12月に再び元のベトナム共産党の名称に戻った。2001年に開かれた第9回党大会でノン・ドク・マイン書記長に選出された。同時に、ドイ・モイ路線の改革・開放推進と「社会主義市場経済化」の目標を確認。マインは92年から国会議長を務め、その調整能力を買われての登用とされる。ベトナム人の9割が平地に住むキン族(ベト族)だが、マインは北部山岳少数民族のタイ族出身で、党史上初の少数民族出身の最高指導者。06年4月の第10回党大会で再任が決まった。続く6月の国会は、引退したルオン大統領(国家元首)の後任にグエン・ミン・チェット・ホーチミン市党委員会書記を、カイ首相の後任にグエン・タン・ズン第1副首相を選任した。書記長と大統領、首相の集団指導体制を維持しつつドイ・モイ路線をさらに推進するが、最大の課題は経済成長に伴い党幹部や公務員にはびこる腐敗汚職の撲滅だ。

(片山裕 神戸大学教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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