みなと村(読み)みなとむら

日本歴史地名大系 「みなと村」の解説

みなと村
みなとむら

[現在地名]那覇市通堂町・山下町・楚辺など

一九四七年(昭和二二年)から五〇年まで置かれた特別行政自治体。沖縄戦終結後、米軍は那覇市を駐屯および物資集積地としたため、旧市街地の開放は進まず市民の帰住はしばらくできなかった。一九四六年一月から陶器生産の再開を目的に壺屋つぼや地区が開放され住民移動が開始されたが、開放地区はわずかであったため、依然多くの住民は沖縄島北部での生活を余儀なくされた。四七年五月一日那覇港湾の作業労務管理を円滑に行うため、国場幸太郎を中心とする那覇港湾作業隊が組織され、作業隊とその家族の集住地域として那覇市山下やました町、通堂とんどう町の一部、真和志まわし楚辺そべを分割して特別行政自治体みなと村が、沖縄民政府告示第一八号によって設置された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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