近世期、沖縄島内三ヵ所にあった陶窯を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…15世紀初期の陶器は南方系の素焼が多く,中部の知花(ちばな)や読谷(よみたん)村の喜名,北部の古我知(こがち)でおもに酒がめや水がめがつくられた。16世紀初期には喜名や知花の窯が王府によって那覇の壺屋に移された。そして17世紀初期に王府は薩摩から高麗人陶工張献功(一六),一官,三官らを招聘(しようへい)して朝鮮式陶法を伝授させ,さらに17世紀中期には陶工平田典通を中国に派遣して赤絵の技法を習得させた。…
…第2次世界大戦の戦災をうけて市街地は灰燼に帰し,戦前那覇を中心に通じていた沖縄県営鉄道(1914創業,全延長48km)も破壊され,以後,交通は道路のみとなった。戦後,県がアメリカ軍の統治下に置かれたため,旧市街地は立入禁止が続き,市の復興は1945年11月郊外の壺屋地区に陶器や瓦製造を目的とした103名の居住が許可されて以降始まった。その後疎開地からの帰還者や,本土,海外からの復員者の流入によって人口集中が活発となり,しだいに市街地が形成されていった。…
※「壺屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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